写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01 1日目韓国へ 仁川空港とソウル(2015年1月8日)

 今度は2015年の韓国旅行記です。よろしければ読んでやってください。

 

    年末にグダグダして、こりゃダメだ、と思い、迷いましたが、旅行に出かけることにしました。現実逃避です。一応パスポートの切り替えだけはしていたので、韓国に久しぶりに行くことにし、ネットであれこれ予約して、昔会った韓国人の人にメールを送りましたが、反応なし

 

    もう連絡が途絶えて久しく、当時の携帯の番号が残っていたので国際電話をかけてみましたが、十数年の間に韓国全体の携帯の番号が変更になったらしく、通じませんでした。住所が残っていた人には速達の手紙を送りましたが、これまた韓国の住居表示が数年前に大々的に変わったらしく。しかも韓国人はむやみに引っ越しをするそうなのであてになりません。孤独な旅になりそうだなあ、と憂鬱な気持ちで出発。

 

 まあとにかく、2015年1月8日出発。札幌圏が大雪でダイヤ混乱のため、遅れてきたスーパーカムイ崩れの南千歳9:58発新千歳空港10:02着のエアポート92号にたぶん10数分~20分程度遅れで乗り込みますが、激混み。乗ろうとしたら文句言われました。

 

    何とか新千歳空港に到着。ガイドブックを買ってこなかったのでここで「地球の歩き方」を購入。見るとこの本女性向きになっていますね。昔は冒険旅行志向だったのに。ガイドブック自体、あまり置いていなくて、あまりガイドブックの需要がないのかな、と思いました。国際線のターミナルが新設されて初めての利用です。日本なので航空券の発券もスムーズ。ただ、私は昔から使っているドラムバッグみたいなのを持って行ったのですが、預かってもらおうとすると、キャリー付きのスーツケース全盛で「つぶれるから」といわれて機内に持ち込むことになりました。

 

    飛行機は「ジンエアー」というLCCです。ここが空いていたので利用しました。LCCってどんなのかな、と思います。航空券は往復3万ほどでした。大韓航空より安いですが、1万円ほどの差で、冬休みに思い立って予約したせいもあってLCCにしては高いようです。

 

    千歳空港も雪で混乱していました。国内線はごった返していましたが、国際線は平日でそうでもないです。まあまあ。出国手続きは簡素化されています。私の審査官は普通そうな人でしたが、横の審査官は長髪マスクの今どき風兄ちゃんでおやおや、こいつが検査官かよ、と思います。荷物検査もスムーズ。待合室で待ちますが遅れる模様。待合室の横のおじさんたちはタイあたりに行く模様。私以上に待たされていたようです。

 

   12:35発が13:00搭乗開始。出発したのは13:30ごろだったでしょうか。ジンエアー232便。雪の中を飛び立ちます。機内誌も機内放送もなく、乗組員も韓国人ばかり。機内放送も韓国語です。全然聞き取れません。景色も見えないし、ガイドブックを読んで予習。地下鉄のきっぷが廃止されて「交通カード」というキタカみたいなモノに一本化されたという記事を見て愕然。得意の汽車ぽっぽでまごつくようではこれからの旅行が不安です。大丈夫かなあ、と思います。軽食がでました。小さいおこわみたいなものとカステラ風の菓子。それに水。朝から食べていなかったのですが、LCCなので仕方ありません。ジュース類は有料ですが、ウォンかドルでないとダメのようで、買えません。

 

    朝鮮半島が見えてきてそれを突っ切り、仁川空港へ。15:40到着予定が16:30ぐらいになってしまいました。無事着陸。雪が全くないので、大阪にでも着いたかな、という印象でした。空港も関西空港かいな、という感じで、歩く歩道やエスカレーターを行きます。すると突然、地下鉄の駅になったのでびっくり。おや、と思って乗ったら、どうやらターミナル間をつなぐ無人電車のようでした。

 

    降りてから入国手続き。手続きはスムーズ。機内で渡された入国票を渡しますが、写真と指紋を採られます。昔、韓国人が指紋押捺拒否運動をしていたのだがなあ、と思います。両替をしたら6万円が50万ウォンちょっと。だいたい1万円=10万ウォンという感覚で、以前なら6万円が70万ウォンぐらいになったのに円安だなあ、とちょっと淋しくなります。

 

   とにかく、ついたので何か食べようと思います。地下についたのでフードコートしかありません。上に上がればちゃんとしたレストランがあるはずですが、疲れていて面倒なので、チャジャンミョンという韓国でおなじみの麺を食べました。フードコートは日本でもあまり利用しないのでちょっとまごつきます。味はまあまあ。6000ウォンぐらいです。だからフードコートの麺類が600円ちょっとという感覚。

 

    それから地下を歩いて空港駅へ。次の直通列車は18:30だとか。これは日本語で聞きました。その前に安い普通列車もあるのですが、大嫌いなロングシート車のようでしたのでやめます。交通カードを買って3万ウォン分をチャージ。ちょっとまごつきましたが、何とか出来ました。3万ウォンも使うかなあ、と思いつつ、なくなったら嫌なので余計目にチャージ。で、普通を何本か見送って直通列車に乗車。地下を抜けて橋を渡ると夜です。高速道路のオレンジの明かりは日本と同じですが、なんか駅の明かりが青白いのです。それは日本と違います。夜だから景色見えないなあ、と思いつつ、また地下に潜り、ソウル駅に。空港鉄道のソウル駅は地下のかなり深いところにあるようです。

 

    これまたよくわからないまままに、案内図に従って行くと、ソウル駅ってこんなんだったっけ?と思います。まあそれでも上に上がっていったん外に出ると、ようやく地理感覚がつかめました。

 

    また地下に行き、ソウル駅から地下鉄1号線に乗ります。一番古い地下鉄なので、ちょっとくたびれている雰囲気ですが、それでもホームドアが設置されていました。電車も新型に置き換わっていました。鍾閣駅へ。駅を出ると繁華街。夜ですが活気があります。屋台もでています。

 

 泊まるホテルは昔泊まった仁寺洞というところの世林ホテルというところへ。昔泊まったので迷わないだろうと思って歩くと、ほぼ迷わずに行けました。本当は江南地区の短期留学の時泊まったホテルの方が愛想がよかったのですが、どうも改装されて高級連れ込み宿になったようで、交通もちょっと不便だったし、今回はその前の時に泊まったホテルにしました。事前にインターネットで調べたら、バスタブ付きの中心街のホテルで一番安かったので、前も泊まったし、まあいいかと予約しました。それでも一泊日本円で6000円ぐらい。10数年前でも古そうなホテルでしたが、いくら利便地とは言え当時4500円ぐらいだったのに…、と思います。

 

    オンドル部屋に泊まりたかったのですが、インターネットで3・4泊目は満室と表示されて、ベッドルームにしました。それを二泊ずつ2回に分けて予約したので、予約の紙を見せたら、ちょっと戸惑ったようでした。ようやく理解してもらい、向こうは英語であれこれ言ってきて、こちらも英単語で答えます。一階のオンドルルームはおすすめではないようで、ベッドルームを見るか、一階は「noisy」だといわれましたが、オンドル希望なのでそのままにしました。中はまあこんなもんかな、古くさいですが、大型液晶テレビ付きでした。

 

   初日の夜寝る前に仁寺洞周辺をウロウロしたあげく、ホテル横の店石焼ビビンバを食べたのでした。8000ウォンぐらい。今回の旅行はほとんどソウルで、同じホテルに4泊したので印象が混沌としていて、どこをどう行ったのか、何をどこで買ったのかが判然としないところがあります。仁寺洞出口のコンビニ「GS25」新聞や焼酎、歯ブラシやカミソリを買ったのでした。

 

 疲れたのでさっさと寝ます。オンドル暖房思ったより暖かくないです。

01 今後の方針

 ブログを開設し、1ヶ月半。台湾・韓国・ロシア旅行記を書きました。ごくごく少ない訪問者数ですが、こんな偏屈な長文旅行記を訪れて読んでくださった方々には深く感謝申し上げます。

 

 ところで、今年は人生始まって以来初めて、3度も海外旅行をする機会を得、その記録を書いているうちに、ブログ化を思い立ち、勢いで開設してしまいました。しかし、こんなに旅行を重ね、長文を書き連ねても、一ヶ月半でネタが尽きてしまいました。冬にもどこか行こうかな、とは考えているのですが、今年のマイブームであっただけで、庶民の立場ではいつまでも頻繁に海外旅行を重ねていくわけにもいきません。普通は時間か金銭か、どちらかが足らなくなるものです。ブログを長く続けていくのは難しいものだ、と痛感しています。

 

 写真が全くないし、長文ですから、エキセントリックなキワモノブログになっているものと思います。せめて切符やパンフレット、買ってきた絵はがきでもスキャンし、これまで公開したブログに掲載しようかなあ、と検討中です。でもパンフレットや絵はがきって著作権にひっかからないのかな、と思います。ブログ初心者なので、こういうことがよくわかりません。参考にしている他の旅行ブログをみても、ほとんど掲載されていませんね。

  

 考えてみれば、海外旅行は4年ぶり、国内旅行に至っては北海道外に出たものは7年間もありません。今年比較的余裕が出来たおかげですが、今後どうなるかもわかりません。

 

 とりあえず、しばらくの間は2015年の韓国旅行の記録が残っていますので、それを掲載しようと思っています。古い旅行記ですがお付き合いいただければと考えています。

 

 その後は、大昔の国内旅行記を載せていくか、それとも方向転換しようか、と思案中です。昔の旅行記を載せる方に傾いているのですが、ネットを検索してたどり着いた先が大昔の旅行記では迷惑かな、とも考えています。

 

 違う話題も載せると、題名を変えなければならないでしょうし、それでもブログのネタが続くかな、と不安に思います。

 

 こんな文章を読んでくださる方がいるのかどうかわかりませんが、ご意見やアドバイスをいただければ幸いです。よろしくお願いします。

22 ロシア旅行記を終えて<その2>(2019年8月)

 ロシア旅行記の補足の続きです。

 ハバロフスクについて
ハバロフスク旧ソ連時代、ウラジオストクが閉鎖都市だったので外国人はここに寄らざるを得ませんでした。当時は中韓の人が来なかったのでアジア人なら日本人、その名残りでインツーリストホテルには日本語が話せる人がいるのでしょう。とはいっても若くてきれいな子でしたが。川に大きな貨物船が停泊しているのはかなり異国情緒がありました。

 

 ハバロフスクの基幹産業はよくわかりませんが、シベリアの物資の集散地にはなっているのでしょうね。ハバロフスクウラジオストクはライバル関係ですが、こっちはハバロフスクびいきになりました。最近はウラジオストクに押され気味だそうです。ハバロフスクの方がのんびりしています。

 

 ハバロフスクの2つの聖堂は観光写真によく使われているものの、21世紀になってロシア正教が復活した際につくられたもので、観光地というよりは信仰の場という側面が強いのだと感じました。書いたように、女性はみんなスカーフをかぶっていましたし、イコンにキスをする人もいました。誰が出資して聖堂が建てれたかはわからないです。公的な組織ではないでしょう。信仰深い人々の寄付で出来たのではないでしょうか?

 

 ハバロフスクを堪能しましたが、この町が気に入り、長期滞在できないかな、と思うようになりました。宮脇俊三氏のシベリア鉄道旅行記ハバロフスクが気に入って休みごとに来ている、という青年が登場するのですが、なんとなくわかる気がしました。気候は厳しいでしょうし、仕事をすることは出来ないでしょうが、住むだけなら案外居心地のよい町ではないでしょうか。

 毎日気が向いたときに、のんびりと川や公園や市場をめぐり、駅で汽車を眺めるだけでも良さそうです。坂は多いですが、交通機関も利用しやすいのでウラジオストクのようなしんどさはありませんでした。ウラジオストクは2010年代に入って近代化しはじめたようですが、ハバロフスクはまだのようです。でもそれで不便そうな感じもないし、レトロ感があって私好みです。今のままでいて欲しいのですが、そのうち近代化が始まるのでしょうかね?もう新空港の建物はほとんど完成していたようですし。

 

 ウラジオストクについて
 ウラジオストクの展望台についてですが、やはり観光地に露店や土産物屋の一つもないというのは困ります。アイスクリームの屋台とかジュースの売店ぐらいはあると思っていたのに何もなかったのですから。あと、展示されていた潜水艦は旧式でしょうね。北朝鮮レストランは諜報活動や工作活動の拠点になっているという説があります。

 

 気温は温度計を持って行ったわけではないし、現地のテレビを丁寧に見たわけではないのでわかりませんが、30度は超えていたでしょう。ハバロフスクも暑かったのですが、あっちはもう少しからっとした暑さだったような。でもゲリラ豪雨がありましたからそうでもないのかも。ウラジオストクは湿度も高かったのではないでしょうか?まあ、坂道を歩き回って汗ダクになったので実際のところはわかりません。

 

  ウラジオストクのバイオリン弾きの演奏を聴いている人は2~3人でした。夕暮れの町並みとムードがぴったりで、雰囲気がよかったので珍しく投げ銭しました。2曲ぐらい聴いて立ち去ったので向こうは「えっ」で感じでしたが。日本でも札幌のススキノでは夜にギターを弾いて歌っている若者がいますね。ウラジオストクは滞在時間が短く、ようやく慣れてきたところで帰国になりました。市電やトロリーバス、郊外電車にも乗れなかったのでちょっと心残りです。
 

    ホテルについて

 ウラジオストクハバロフスクで泊まったわけですが、ウラジオストクの空港ホテルは穴場でした。ただし探すのに一苦労でした。電車の駅方向に行って突き当たり右側です。すると表示があります。ただしエレベーターも目立ちません。日本便は夜に着く飛行機が多いので便利です。

 

 ハバロフスクの宿泊事情がよいのに対し、ウラジオストクは悪いです。ハバロフスクが昔から外国人に開放されていたのに対し、ウラジオストクが閉鎖都市だった名残でしょうか?現在ではおそらくウラジオストクを訪れる観光客の方が多いでしょうから、ウラジオストクに便利な中級ホテルがもっと出来るとよいと思いました。

 

 気象通報の思い出とサハリン(樺太
 ハバロフスクウラジオストクといえば、天気図こそ作りませんでしたが、NHK第二放送の気象通報を昔よく聞いていたことを思い出します。韓国の気象通報も早朝にあるのですが、これも韓国語のヒヤリングにいいので聞いていました。どちらも観測地点にハバロフスクがあります。ウラジオストクは「ウラジオ」といっていましたね。サハリン千島あたりはだいぶ遅くまで「敷香」とか、「松輪島」とか、日本時代の地名で読み上げていましたので、戦前の放送を聞いているような趣があって好きでした。

 

 いつかサハリン(樺太)にも行きたいですが、今年の夏(2019年)に調べたところでは千歳~ユジノサハリンスクの航空便の方がウラジオストク便より高額でした。北海道から最も近距離の便が飛んでいる「外国」なのですが。

 Yシャツについて
 台湾韓国につづき、またYシャツを購入しましたが、ロシア製かはわかりませんでした。市場の品物なので高級ではないと思います。洗濯のタグをみたらキリル文字で書いてありました。3XLでは大きすぎですが、せっかくなのでときどき着ています。台湾韓国のときのYシャツも時々着ているのですが、クリーニングに出すとき、クリーニング屋が洗濯表示のタグがハングルや中国語の表示なので戸惑っているのではないかと思います。今回これにロシア語が加わってしまったわけです。LCC利用の現地調達主義なので、外国で買った折りたたみ傘とYシャツと下着が増えていきます。

 健康食品について
 帰国後に、ロシアで買った「CHAGA」(カバノアナタケ)のエキスと、韓国で買った「ソクリュ(ザクロ)」のエキスを混ぜて飲んでいます。前者は非常に苦くてまずく、後者は甘いです。混ぜて飲んでいいのかわかりませんが、こうして中和させています。

 

 ウォトカについて
 空港で小銭を消化するために買ったウォトカを帰国後に飲んでみると、意外に気に入りました。アルコール度数40度なのに。さすがにちょっと口に含んでは水で流し込む、という飲み方です。それでも韓国焼酎の20度がたいしてきついとは思わなくなりました。こんなものが好きになるとは。年齢のせいですかね?

 

 最後に…
 ところで、ゴールデンウィークの韓国旅行で使った千歳~大邱線、日韓関係の悪化であえなく休止になったようです。残念です。ですが韓国線大ダンピングの様相で、1万円台続出のようです。お互い行きにくくなっている雰囲気ですが、そういうこと気にしないならば逆にチャンスです。まあ今年はもう行こうと思いませんが。ウラジオストク線も冬季休航だとか。再開してくれればいいですね。

 

   この冬にもどこかへ行こうかな、と思っています。もうやけっぱちですので。最有力候補は香港だったのですが、ここは元々札幌発の航空便の時間帯が悪いので今夏も断念してロシアに行くことにした経緯があり、さらにこのところ政情不安なので難しそうです。代替地としてどこがいいかなあ、と考えています。どこがいいでしょうかね?

 

 

 

21 ロシア旅行記を終えて<その1>(2019年8月)

 ロシア旅行記終わりました。

 

 今回、台湾韓国の反省でやたらメモを細かくとったので、以前に増して文章も長くなってしまいました。それでも詳しく書いた分、一部メモを書き落としていることが、かえって気になってしまいます。あそこで買い物したのに記録が残っていない、とか、小さい買い物やちょっと見かけた事柄について、どちらが先だったっけ?とか、どういうルートで歩いたんだったっけ?とか。思い出せないところもあって、おやおやと思います。 まあ、あやふやなところもありますが、それでも読んでやってください。どなたか読んだ感想を書いてきてくだされば、とてもとても、うれしいです。

 

 以後、補足や全体を通して感じたことを書いていきます。

 

   写真について

 台湾、韓国のときと違い、今回、特にハバロフスクの景色が美しく、普段はカメラを持って行かない主義の私ですが、やはり持って行った方がいいかな、と思いました。景色の描写を一生懸命書きましたが、参考に見たyoutubeの動画の方がやはりいいですね。延々と書いていてむなしくなります。それと、楽しかったのに、書いていくうちに考えてみると、なんだかなあ、ということが多いですね。言葉がよくわからないので仕方ないです。

 

 言葉について 

 今回、露英中韓の四カ国語に接しましたが、どれもこれも使えずじまい。でも4カ国語なんて無理ですから、やはり素直に翻訳アプリを使うのが正解なのかな、とも思いました。やはり今の時代、必要性は英中韓、続いてロシア・タイ・スペイン・ポルトガル語といったところでしょうか?今はフランス語やドイツ語の必要性が薄まりましたね。

 シベリア鉄道ウラジオストクで中国人のおばさんたちが好意的に接してくれたのに意思疎通が出来ず残念でした。中国語については、大学で少し学んだだけでした。実は数年前、資格検定マニアになっていた時期に中国語検定の準4級をとりましたが、最下級ですから全然使い物になりませんでした。無理矢理の筆談と、断片的な単語がわかっただけです。 

 

 航空路線について

 千歳からだと、台北はもちろん、ソウルや大邱よりもウラジオストクの方が近いわけですが、飛行ルートが迂回ルートらしいのと、便数が少ないので、韓国に行くより多少高くなるようです。そもそも日本の航空会社で千歳から海外便を飛ばしているのを知りません。あってもLCCでしょう。これまで利用した航空会社は皆海外の会社です。

 

 先日ネットを見ていたら、夏休みの旅行先伸び率1位が韓国の大邱で、2位がウラジオストクだったとか。たまたま今年行ったところと一致します。おそらくこの2つの空港の利便性が急上昇したからでしょう。私にしては珍しくはやりものに乗ったわけです。

 

 ロシア観光について

   ロシアが観光誘致に熱心なのかはわかりませんが、日本側では近頃ウラジオストクが意外といいという記事が時々載ります。このところyoutubeウラジオストク旅行の動画が結構上がっています。ハバロフスクは、まだ少ないですね。ウラジオストクの場合はビザが緩和されたのが大きいと思います。電子ビザならネットでとれますし、正規ビザは相変わらず代行業者に頼むのが普通でしょうが、昔と違って適当な旅程でも発行してもらえるようになりました。

 

 ロシアには、知られていないだけで結構いいところがあると思います。はじめサハリンも検討したのですが、ここは観光的には魅力が乏しいですね。今年も稚内航路があれば旅行の有力候補だったのですが、海路が使えないので断念しました。

 

 旅行記の中で書きましたが、ハバロフスクを訪れる日本人観光客がいないわけではないですが、少ないようです。旧ソ連時代から一定数旅行客はいたと思いますが、台湾韓国よりは少ないですね。近頃、「オーバーツーリズム」が問題になっていますので、このハバロフスクのようなあまり知られていないところがかえっていいかもしれません。

 

 時差について

 ハバロフスクの経度は日本の明石と同じです。ということは日本と時差が同じであった方がいいわけです。ところが遅れているのならともかく、1時間進んでいます。まあ、日暮れが遅いのは便利でした。よく覚えていないのですが、27年前は冬で、ハバロフスクは日本より2時間進んでいた記憶があります。その後時間帯を整理したり、サマータイムをやめたりということがあったそうで、そのときサマータイムだった時間を一年中使うようになったらしいです。正確な話だかどうかはわかりません。

 

  物価と両替について

 ロシアの物価が安いという印象は受けませんでした。1ルーブル2円と考えても、量が多いとはいえ、ウラジオストク空港の餃子みたいなペリメニが円換算で900円、ホテルも便利がよい空港内とはいえ、トイレシャワー共用で7200円です。ルーブル相場がどう動いているか普段気にしませんから、相場については、どうこう言えないです。ただ、日本の銀行での両替は大失敗でした。ATMの機械では自分のカードが使えるか、下手をすると入れたはいいが出てこなかったりしたらどうしよう、と思いますし。夏なので空港の両替所が夜でも臨時営業していたのかもしれませんが、助かりました。

 

 外貨両替はレートの悪い順に日本国内→現地空港両替所→現地銀行というのは原則的にはどこでも同じだと思います。推測ですが、おそらくこういうものも需要と供給の原理でしょう。日本だと相手国の通貨の手持ち(供給)が少ないし、その通貨をあえて求めると高くなります。現地では日本円の方が貴重なので高くなりますね。おそらくそういうことでしょう。ですが日本円の場合は需要のない田舎などでは両替してもらえない場合もあるとか。まあ現地の空港で少しだけ両替、翌日に現地の銀行を探して両替、というのがベストでしょう。わかっていて実行しないのが私ですが。でもこれからはキャッシュレスが多くなっていくのかもしれませんね。

 

 ロシア人の愛想について

 いろんなところで書きましたが、ロシア人は全然商売っ気がないです。挨拶もしないし、露店の店員はグダーッとしているし、まあ若い男の子が比較的愛想がいいかな、という印象でした。若くても女の子は駄目でした。民族性なのか、社会主義の残滓なのか。きれいな子が多いのですがね。きれいですが、冷たい感じで、いい意味でも悪い意味でも人形のようでした。
 

 

 乗り物について

 トロリーバスは日本語で「無軌条電車」というそうですが、電車の一種と考えた方がよさそうです。基本は架線下しか走れません。ただ、他のバスが停まっているときなどによけるという程度は出来るようでした。アルペンルートトロリーバス区間がありましたね。まだ行っていません。日本でも高度成長期にはトロリーバスが大都市でもいくつかありました。ですが私の幼少期までに廃止されたようで、見たことも乗ったこともありません。旧社会主義国では残っているようです。ピョンヤンにもあるそうです。

 

 遊覧船というのは日本でも意外とこんなところに?というところにもあるものです。アムール川は観光名所と言っていいと思いますので、昔からあったのだと思います。冬は結氷しますね。オホーツク海の流氷はここの氷のなれの果て、と聞いたことがあります。27年前は真冬でしたが、ソ連崩壊直後に行ったせいもあり、おっかなびっくり歩いただけでした。今回、結構暑くて閉口したものの、市内見物なら断然夏だなあ、と思います。

 

 ただ、シベリア鉄道は冬の方がよい、といわれていました。暖かい室内から冬景色を眺め、たまに駅で寒さを体験する、という方が面白いでしょう。夏は冷房がないのと、蚊が発生するので意外とよくない、といわれていましたが、今度の乗車では、列車に冷房がついていましたし、蚊に刺されることもありませんでした。

 

 列車のコンパートメントの鍵については、2等は4人部屋なので車掌が管理することになっているのでしょう。食堂車に行くとき声をかけようかな、と思ったのですが、貴重品は持って行くのでまあ大丈夫だろう、と思って閉めずにそのままにしておいたのです。 ロシアの鉄道ゲージは1524ミリ(1520ミリと書いているのもありました)ですね。ですから市電もそうなのだろうと思います。 

 

 ここまでにして、続きは次回に回します。
 

20 5日目ウラジオストク空港から帰国(2019年8月7日)

 ウラジオストク空港について、とりあえず朝食「LUCKY EAST FOOD」なる店がロビーにあり、日本風の招き猫のマークです。もっとも「招福」などとは書いてありません。日本食ではなく、どうも中央アジアの料理のようで、これをスタローバヤ式で注文し、よそってもらう形式でした。シャシリクという肉の串焼き、黄色いインディカ米と肉のピラフ、赤いビーツのサラダ。740ルーブル。空港ですから高いですね。でも味はよかったです。ロシアの料理は日本人の口に合います。

 レストランで注文にまごついたり、なかなか出てこなくてイライラしたりしましたが、味自体はこれはまずい、とか、食べられない、というものがほとんどなかったです。黒パンや売店で買ったピロシキはパサパサしていましたが、ピロシキはともかく、黒パンはこういうものだと珍しがって食べただけですからまずいとは思わなかったです。27年前を思い出して比較すると相当レベルが上がったような気がします。ただ、店員は若い女の子でしたが、相変わらず愛想なし。

 

 記念に残しておくお金以外は使おうと思います。海産物を売っている店があります。鮭やイクラなんか持って帰ってもいいのか、と思いますので買いません。キャビアの缶詰がありました。値段を忘れましたが日本円で5000円か1万円ぐらいしました。5000ルーブルぐらいだったのでしょう。これでは手が出ません。

 「TAIGA」という蜂蜜専門店もありました。ここに入るとロシア人の兄ちゃんが英語を使って味見させてくれます。いろんな蜂蜜があって、あれこれ混ぜているようですが、これは果物、とか、これはハーブ?というのがなんとなくわかる程度。味見させてもらい、よさげな味だったものの小さい瓶のを買おうとして聞くと、大きいのしかないとのこと。小型の2個入りセットを適当に選び、かわいい熊の絵が描いてある小型の純粋蜂蜜を一個買います。計490ルーブル

 次にマトリョーシカの人形。何軒か店がありましたが、一軒はなぜか日本人形が一緒においてあります。もう一軒マトリョーシカの店があり、迷いましたが、小さいのを購入。昔モスクワで買ったときは1ルーブル=1円で300ルーブルぐらいだった気がするのですが、こんどは小型なのに1200ルーブルです。あと、「Tiko」がここにもあり、小銭を使うため「ロッテミルキス」なるカルピスソーダみたいな缶飲料を飲みました。キリル文字表記です。韓国の飲み物はどうか、と思ったのですが、50ルーブルちょうどの小銭で買えるのがこれしかなかったのです。

 

 韓国で昔、手続き後に買い物をして機内に持ち込みできず、失敗した経験があるので、先に土産物を買っていたら時間を食い、手続きの場所がすぐ見つからなかったこともあって、せっかく早くいったのに窓際の席が取れず、通路側にされてしまいました。

 帰りは荷物が多くなっていますので、いつもバッグを預けますが、このとき英語でなんか言われますがわかりません。ロシアの英語はわかりやすいぞ、と思っていたのでがっかり。台湾のときも帰国便手続きで荷物を預けるとき、英語でなんか言われてわかりませんでした。帰国便チェックインのときのバッグがらみの想定問答を練習しておくのが一番いいかもしれません。

 

 それから上に上がります。通路に到着時に見た「ジャパンショップ」があるので覗くと、日本製品の他に韓国製品も結構ありました。韓国に蚕食されています。出国手続きもスムーズでしたが、韓国人がずらっといます。どうもチェジュ航空乗客の手続きが滞っていて、韓国人のおばさんの係員か添乗員があせってあれこれ何度も叫んでいます。

 出国審査も終わり、待合室へ。免税店があって、ここで残ったルーブル消費。中国語で何とか茸と書いてあるエキス400ルーブル。帰国後、調べたら「CHAGA」(カバノアナタケ)のエキスだったようです。まあ健康にいいのでしょうから飲んでみます。あとウォトカのミニボトル(Русский стандарт) 200ルーブル。よく考えたら高いですね。あとコーヒーの自販機で55ルーブル。今回は途中から意識して小銭を出すようにしましたので、台湾のときのように小銭がたくさん残るということはありませんでした。まあ、お土産で無駄遣いした感がありますが、これは韓国のときもそうでした。クレジット決済にするとこういう無駄遣いはしなくて済むのかもしれませんが、不安ですので極力現金主義です。

 

 待合室はまた中国人団体客に数名日本人らしき人物。その他韓国人カップルもいました。なぜロシア経由なのでしょう?バスに乗ってタラップから搭乗。いよいよロシアさよならです。

 通路側なので景色が見えません。ウラル航空U6=747便。12:20発。あちこちでвыходという表示を見かけました。飛行機の中にもあります。これは「出口」、「入口」はвход。これぐらいはわかるようになりました。私の席の反対側の通路席に中国人老婆がいたのですが、上の荷物から水か液体がこぼれて別の席に移動していました。満席だと思ったのですが、予備席があったようです。

 

 外はわかりませんが、帰国してから世界の飛行機が今どこを飛んでいるかわかるサイトがあるので、これを眺めていたら、やはり一度北上、サハリン手前で戻り、利尻礼文上空、留萌を経て千歳に行くルートでした。窓側の客が着陸の様子を覗いています。

 着陸。また端っこの方に停まります。13:25着ですが、13:05には着陸したと思います。タラップを降り、バスでターミナルへ。外国人客ばかりなので日本人の審査は列につかなくてもいいです。荷物をとります。日本人客が先にたどり着きます。白髪交じりのおじさんが話しかけてきて、ロシアに何度も行っているが2007年以来だとか、韓国人カップルは日本旅行を隠すためにウラジオストク経由できたのだろうか、などと言います。こっちはロシア暑かったです、といいます。

 ターンテーブルが動き出すと真っ先に私の荷物が出てきて安心。ウラジオストクロストバゲージが多いそうで心配でした。話をしていた日本人のおじさんに「失礼します」と言って行きます。あっさり審査も税関も終わりました。なぜ台湾のときだけしつこく検査されたのか不思議です。

 

 国際線到着ロビーに出て、空港で預けていた荷物をとります。なんか日本にいるのが不思議な気分。あっという間にロシアから戻ってしまいました。「日本に一番近いヨーロッパ」を実感します。家に食べものがないですから空港で「石狩鮨」を買って、15:00発のエアポート151号Uシートに乗ります。喉に詰まらせてしまい、焦りました。

 

 えらく長々と書いてしまい、こちらも疲れましたが、読んでくださった方も大変だったでしょう。ありがとうございました。