写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

05  法隆寺・中宮寺・薬師寺・唐招提寺(2002年8月6日)

 岡山までたどり着きました。この年冬の旅行で、中央郵便局めぐりがひと段落して、さてどうしようか、あれこれ今後の旅の目的を考えていました。とりあえず、京都奈良のお寺めぐりをしてみるか、という結論になり、その第一弾として京都に行ってみることにしました。

 

 岡山で一日休んだあと、8月6日6:06庭瀬発。岡山を過ぎて山陽線を普通で進みます。どうも向かいのおばさん二人連れが私と同じ青春18きっぷ利用のお寺めぐりを考えているらしく、奈良に行くとか飛鳥はやめましょうとか言っています。話を聞いているうち、なんとなく、京都より奈良の方が行きにくいので、奈良の方がいいかな、と思いだして行き先変更、奈良に向かいます。

 

 姫路7:43着。新快速に乗り換えて7:48発です。反対側の席の朝鮮高校らしき女生徒が行儀悪くて閉口。8:50大阪着。8:57発の関空快速で9:09新今宮。9:16発の快速で9:44法隆寺着。と進んでいきます。

 

 まず歩いて法隆寺見物。暑いせいか空いています。中学のとき修学旅行できたことがありますので2度目です。まあ見るといっても仏教美術の深い知識があるわけではないので、これがエンタシスの柱か、とか、金堂を覗いてなるほど釈迦三尊像があるな、とか、わー五重塔だ、という程度です。宝物館のような所で百済観音ほかの仏像を見ます。まあ、見ました、という以上の感想はありません。 

 

 続いて夢殿をみて、隣の中宮寺へ。ここには半跏思惟像があります。行くまで知らなかったのですが、中宮寺という寺自体は昭和40年代に再建されたものです。そのことを知っただけでも行った価値はあったのでしょうか。

 

 法隆寺のバスターミナルに行って、奈良行きバスに乗ります。案外高いバスで5百何十円だかとられましたし、時間もかかりました。

 

 次は薬師寺です。薬師寺も中学のとき以来です。こちらは印象が違っていました。創建当時の伽藍を復活させるとかいうことで、西塔以外は赤い創建当時の色に塗られていました。西塔だけが白鳳期のものといわれているので、色は塗っていません。金堂の中に入って薬師三尊像を拝みます。まあこれも、ただお参りするぐらいです。ただし、裏に回ったとき、観光タクシーの運転手が客に細かい文様の説明をしていて、「なるほど」と思いました。やはりそういう説明の出来る人といった方がいいのかもしれませんね。

 

 それから歩いて唐招提寺へ。ここは初めてなので期待していました。ところが工事中。でも中に入れるということで一応入ります。金堂を解体修理しているようで、完成が7年後とか。気が遠くなります。7年後私はどうなっているのだろう、と考えてしまいます。一応一通り見ましたが、特に感慨深いというほどのものではありませんでした。これでは7年後に再訪するしかないです。

04  三次から福塩線で(2002年8月4日)

 三次で1時間ほど時間があります。ここでお昼を食べることにします。三次は時刻表によって駅弁マークがあったりなかったりする駅で、あるのかないのかよくわかりません。駅に降りると、「弁当あります」の看板が目に入りましたが、売店の棚にコンビニ弁当みたいなやつと「鮎ずし」があるだけ。この鮎ずし、2100円もして、駅弁かどうかわかりません。で、どうしようかと思ったのですが、結局買うのをやめました。この三次駅の弁当は確かに駅弁といえるのかどうかかなりあやしいところです。駅弁の定義ってなんなんでしょうかね?

 

 とにかく外で食べることにしましたが、大してよさそうな店がありません。携帯電話に向かって毒づいている兄ちゃんがいたりしてどうもパッとしません。結局駅の建物と一緒になっているお好み焼き屋お好み焼きを食べました。味はまあまあでしたが、アル中らしきおっちゃんがいて、これもどうだかなあと思いました。

 

 三次16:17発の福塩線にのります。これも初乗り。途中の塩町で芸備線と分かれていよいよ福塩線。雨模様です。景色的には芸備線の延長です。この線に沿って芦田川という川が流れています。途中の駅で交換列車が来ず、10分ぐらい遅発。そのあと長いトンネルを通って終着府中に17:55分(定時だと)に着いたのですが、どうもそのとき1駅飛ばしたような気がするのです。気づかなかったのかどうか、今もって不思議です。でも終着についたときは遅れはわずか2分になっていました。

 

 府中からは電化されていて、17:57発の電車105系です。昔は70系が使われていました。小学校のとき初めて70系を見たときは青と白の湘南電車かと思ってびっくりした記憶があります。この区間は元私鉄で駅間距離が短く、チョコチョコ止まります。18:41福山着。福山で尾道や瀬戸内海の絵葉書を買おうと思ったのですが、なぜか見つからず、お預け。19:00発の快速サンライナーに乗ります。実家に行くためには岡山のひとつ前の庭瀬という駅で降りなければいけないのですが、快速は旧新快速型の117系で快適なので、そちらに乗りました。倉敷19:33で下車。19:44発の普通で庭瀬19:53。ということで到着です。

03 鳥取から木次線経由三次まで(2002年8月4日)

 翌日8月4日は日曜日。ホテルが簡単な朝食つきだったのでさっさと食べて、鳥取発7:30の列車に乗り、米子へ向かいます。この区間は3年前に乗ったのでボヤーッとして半分寝ていました。米子9:53着。すぐ10:01発の電車に乗り継ぎます。松江を過ぎ、宍道湖を眺めて11:09宍道着。今日はこれから初乗りの木次線に乗ります。

 

 11:13出発。いなかの細道をゆっくりたどっていきます。軽快型の気動車一両編成ですが、窓のところに蜂がいて気になります。運転手は若い兄ちゃんです。ところが木次駅でなぜか1両増結して運転手もおじさんに交代。なんで客の少なそうな区間で増結するのか不思議です。

 

 途中でやたら長い直線トンネルがありました。ちいさな出口が見えるのですがなかなかそこにたどり着かないのは案外面白いものです。山間地の中に妙に建物が立派な町があり、竹下元首相の恩恵かな、と思ったりします。そのあと、亀嵩という駅があって、そばで有名です。この日の日程で昼ごはんを食べる適当な駅がなく、ちょうど12時ごろにここを通過するので予約して持ってきてもらおうかとも考えたのですが、電話番号もわからないし、結局断念しました。

 

 次の出雲横田でなぜかまた1両切り離し、運転手がまた別の若い兄ちゃんに変わります。次の八川は古びた駅舎でしたが、何か売っているのか食堂になっているのか、よくわからないながら興味深い駅でした。

 

 次の出雲坂根三段式スイッチバック駅です。ここでトロッコ列車と交換。それでにぎやかです。この駅の片隅に延命水と言う水が湧き出していて、名物になっています。私も人をかき分けて一口飲んでみましたが、案外ぬるくて大したことないという印象でした。駅を出てスイッチバック。反対向きで坂を上り、また前を向いて走り出します。もうこの辺になるとマニアが数人乗っているだけになりました。

 

 唯一地元客と思われるばあさんが「橋が見える」といっていました。すると「おろちループ」という立派な道路のループ橋が見えます。なかなか壮観で、列車もゆっくり走ります。これも竹下氏の力なのでしょうか?

 

 そうこうしているうちに広島県側に入り、何もない備後落合に13:58着。木次線は前に乗った肥薩線五能線ほどではありませんが、なかなか面白いローカル線でした。昔は夜行急行もあったのですが、この調子では路線そのものがいつまでもつかあやしいです。実は私の乗った列車も本当は日曜運休なのですが、この日だけ例外的に運転したものでした。

 

 接続よく14:01発。芸備線に乗ります。この線は昨冬に乗ったのであまり新鮮さはありません。ですが、この前と同様、カーブをやたらゆっくりと曲がります。どうも時速15キロ制限にしているようです。冬に乗ったときは崖の雪崩に注意するためか、と思ったのですが、夏でもこうですから、どうも違うようです。とにかく、こんなスピードでは、地元の人は嫌気がさして乗らなくなるでしょうね。三次15:11着。

 

02 福知山から餘部鉄橋を渡って鳥取まで(2002年8月3日)

 2002年の旅行記続きです。8月3日に法事がありました。これは省略。その後の話です。


 なぜ福知山などというところで法事があるかというと、ここがもともとの先祖の地らしいのです。この辺は私の苗字がやたら多く、舞鶴から乗ってきた電車の運転手も同姓でしたし、墓場の周りも同姓の墓ばかりでした。

 

 このあと、実家のある岡山に戻るわけですから家族の車に乗ればいいのですけど、やはり私は車でまっすぐ帰るような人ではありません。餘部鉄橋にぜひ行ってみたかったのです。このあたりは高校のとき夜間に通過して、おそらくあれがそうだったんだろうと思われる地点は通過した覚えがあるのですが、昼に通ったことがなく、やはり昼間に一度通ってみたかったのです。餘部鉄橋もそろそろ架け替えとの話がありました。

 

 ということで福知山15:15発の電車で豊岡16:30着。ディーゼルに乗り換えて 16:43豊岡発です。

 

 いよいよ餘部鉄橋。でも、結論から言えば、なーんだ、という感じでした。確かに下に人家が見えるのは面白いですが、長さも短いし、鉄橋そのものが見えないのは興ざめでした。下から見たほうが面白いのでしょうか?明治の末だかにあれだけのものを作ったのはすごいし、それを(当時)今でも使っているということもスリル感をそそりますけれど。

 

 他にも一部海の見える区間もありました。あの辺りとか、羽越本線なんかにも海辺の漁村で山に張り付いて建っている人家がありますが、ああいうところに住むのって結構大変だろうなあ、と思います。

 

 17:50浜坂着。浜坂は兵庫県北部の田舎町です。乗り継ぎ時間がありますので外に出ると、土曜市でもするのか露店が立っていました。おこわやおもちを売っている店もありましたが結局買いませんでした。「かにと温泉と海の町」というキャッチフレーズの看板がありました。考えてみれば(当時)私が住んでいる田舎町と同じものが名物です。

 

 浜坂18:25発の鳥取19:10着でした。

 

 ホテルに入ります。スーパーホテルという、チェーンのホテルでかなり合理化を進めた感のあるホテルでした。もともとホテルはどこに行っても同じようなものですが、最近はチェーンのホテルが多く、ますますこの感が強くなっています。食事でも、と外に出ましたが、土曜の夜で町は騒々しく、その割によさそうな店もなく、結局駅の売店かに寿司の駅弁を買ってホテルで食べました。売店のおじさんはしきりに一個残っているうなぎ弁当を勧めましたが、やっぱりここではかに寿司でしょうね。

 

 



01  また船に乗って舞鶴へ(2002年8月1日~2日)

 今日からまた古旅行記の連載をします。2002年に47都道府県中央郵便局訪問を達成し、さてどうしようかと思っていたころの旅行記です。前年に祖父が死去したので、法事に行ったのですね。そのついでに、という旅行です。今回も記述は当時書いたものをほぼそのまま掲載しています。現時点から見ると、おや、と思う記述もありますが、ご了承ください。

 

 結婚する前の人が「マリッジブルー」になる、というのはよく聞きますが、どうも今回の旅行の前から「トラベルブルー」というか、何で行かなきゃいけないのか、という気になって、どうも行く気がしませんでした。それでも一応船の予約をして、8月1日6:12の普通で出発します。特に変わったこともなく小樽9:16着。ここまでだいたい2700円でどうしようか迷いましたが、結局「青春18きっぷ」の一回分のハンコを押してもらいました。

 

 タクシーでフェリー乗り場へ。9時半ごろつきました。手続きをします。今回は2等寝台にしました。本当は一等にしたかったのですが、一等は一人では利用できないそうです。9000円ぐらいでした。乗ろうとすると列ができていて、エスカレーターの前で係の人が時々動きを止めています。乗ろうとすると列の人は全部新潟行きの客で、舞鶴行きは私一人。

 

 急いで歩いていくと後ろから女の係員が「どこへいくのですか?」と聞いてきますので「舞鶴」というと切符を見せて半券にします。誰も歩いていない通路を急いで渡り、船に乗るとどうやら最後の客のようでした。出航時間より持った早めに行くべきだったようでした。

 

 小樽10:00出発。しばらく甲板から外を眺めていました。でもこの日は風が強いようで、後で「外にでないでください」というアナウンス。関釜・大洗・沖縄とこのところ船づいていましたが、この船が一番豪華な感じでした。風呂もありましたし、簡単ながらスポーツ施設などもありました。寝台の部屋は1ボックスで使うのが私だけだったので快適でした。

 

 昼に食事。高いです。船賃を食事で取り返そうとしているんでしょうか?船の中で調理をしたりするのは大変でしょうけどね。でも結局、食事時間ごとに4度も食事してしまいました。おまけに夜食に焼きそばまで買ってしまいましたし。

 

 何しろやることないですから後は寝るばかりです。反対方向からの船と行き交います、というアナウンスで起き出し、外を眺めましたが視界不良のせいか見えませんでした。

 

 30時間もかかる船旅でしたが、食事以外はひたすら寝ていました。私はもとから眠り病ではないかと思うくらいよく寝ますが、30時間のほとんどを寝ていて平気でした。

 

 ということで、べつだん変わったこともなく、翌8月2日17:00舞鶴港着。港から専用バスで東舞鶴駅に着き、17:41発の電車で18:22福知山着。うちの親が待っていたのでその車でホテルへ。山の上の古臭いホテルでした。おそらく2~30年前に観光用につくったのでしょうが、もう時代遅れになったという感じでした。山の上なのに窓からは隣家の玄関が見えるというやつで参りましたが、親が取ったので仕方ないです。ということで寝ました。寝てばかりですね。