今日からまた古旅行記の連載をします。2002年に47都道府県中央郵便局訪問を達成し、さてどうしようかと思っていたころの旅行記です。前年に祖父が死去したので、法事に行ったのですね。そのついでに、という旅行です。今回も記述は当時書いたものをほぼそのまま掲載しています。現時点から見ると、おや、と思う記述もありますが、ご了承ください。
結婚する前の人が「マリッジブルー」になる、というのはよく聞きますが、どうも今回の旅行の前から「トラベルブルー」というか、何で行かなきゃいけないのか、という気になって、どうも行く気がしませんでした。それでも一応船の予約をして、8月1日6:12の普通で出発します。特に変わったこともなく小樽9:16着。ここまでだいたい2700円でどうしようか迷いましたが、結局「青春18きっぷ」の一回分のハンコを押してもらいました。
タクシーでフェリー乗り場へ。9時半ごろつきました。手続きをします。今回は2等寝台にしました。本当は一等にしたかったのですが、一等は一人では利用できないそうです。9000円ぐらいでした。乗ろうとすると列ができていて、エスカレーターの前で係の人が時々動きを止めています。乗ろうとすると列の人は全部新潟行きの客で、舞鶴行きは私一人。
急いで歩いていくと後ろから女の係員が「どこへいくのですか?」と聞いてきますので「舞鶴」というと切符を見せて半券にします。誰も歩いていない通路を急いで渡り、船に乗るとどうやら最後の客のようでした。出航時間より持った早めに行くべきだったようでした。
小樽10:00出発。しばらく甲板から外を眺めていました。でもこの日は風が強いようで、後で「外にでないでください」というアナウンス。関釜・大洗・沖縄とこのところ船づいていましたが、この船が一番豪華な感じでした。風呂もありましたし、簡単ながらスポーツ施設などもありました。寝台の部屋は1ボックスで使うのが私だけだったので快適でした。
昼に食事。高いです。船賃を食事で取り返そうとしているんでしょうか?船の中で調理をしたりするのは大変でしょうけどね。でも結局、食事時間ごとに4度も食事してしまいました。おまけに夜食に焼きそばまで買ってしまいましたし。
何しろやることないですから後は寝るばかりです。反対方向からの船と行き交います、というアナウンスで起き出し、外を眺めましたが視界不良のせいか見えませんでした。
30時間もかかる船旅でしたが、食事以外はひたすら寝ていました。私はもとから眠り病ではないかと思うくらいよく寝ますが、30時間のほとんどを寝ていて平気でした。
ということで、べつだん変わったこともなく、翌8月2日17:00舞鶴港着。港から専用バスで東舞鶴駅に着き、17:41発の電車で18:22福知山着。うちの親が待っていたのでその車でホテルへ。山の上の古臭いホテルでした。おそらく2~30年前に観光用につくったのでしょうが、もう時代遅れになったという感じでした。山の上なのに窓からは隣家の玄関が見えるというやつで参りましたが、親が取ったので仕方ないです。ということで寝ました。寝てばかりですね。