写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

33  スーパークレイジー君(西本誠)「てんてんむし」

 ときどき、何かの拍子に出くわし、頭から離れなくなるという曲があるものです。別に好きな曲でもないし、むしろなんだかなあ、と思っているケースさえあるのですが、リズムやメロディーの印象が強いのでしょうか?

 

 昨日は、2018年に「三原JAPAN」という台湾在住youtuberが作った曲が妙に頭から離れなくなり、翌2019年に台湾に行って踊っている現場まで行ってみた、という記事を書きました。まあこれぐらいならいいのですが、昨年、2020年に頭に残った曲は、この曲でした。我ながらなんだかなあ、と思います。

 

 昨年夏、コロナ禍の中で東京都知事選挙が行われました。小池百合子氏が再選されたのですが、この選挙には妙な泡沫候補が多数出馬します。それをウオッチングするのが野次馬的な選挙の楽しみ方なのですが、この回もなんだかなあ、という候補が何人か出馬していました。

 

 その中のひとりが「西本誠」という候補者。「スーパークレイジー君」と名乗っています。その選挙運動といえば、特攻服姿で歌を歌う、というもの。何度かyoutubeでこの候補の選挙運動動画を見ているうちに、その歌が頭から離れなくなってしまったのです。中毒性があるのですかね?

 

 なんでも少年院にいたとか、全身に入れ墨があるとか、それで夜の世界で成功して金をつかんで選挙に出た、ということらしいです。まあ私とは全然縁のない世界の住人ですし、お近づきになりたくもないですが、遠くからネットを通じて覗くぐらいの興味はあります。

 

 その演説、のかわりに歌を歌うのですが「てんてんむし」という歌が頭から離れなくなってしまったのです。歌詞はかなり猥雑なもので、「女の家をてんてんむし」なんてなんだかなあ、と思う内容ですが、ラップ、というのか、印象には残りますね。

 

 あと、一緒に選挙運動をしているお姉さんが妙にきれいでした。この候補者に何かそういう魅力があるのですかね?

 

 実はここまで書いたあとに、何とこの「スーパークレイジー君」、埼玉県戸田市の市議会議員に当選していたことを知りました。びっくり。「過去」のある人を許せるか許せないか、というと、私は許せない方です。ですから野次馬的に見ている分には面白いものの、この手の人は政策の如何に関わらず、支持する気にはなりません。でも、入れる人が結構いるのですね。

 

 さらに居住実態についての疑惑から当選無効の申し立てが出たり、選管職員から辞職圧力を受けた、という話まで出ているそうです。思うところはいろいろありますが、こうなると歌の記事の範疇ではありません。ということで今回はここまでにしておきます。

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32  三原JAPAN「走吧!出發去西門町」

   私はもう年末年始、あるいは大事件大事故でもおきない限り、テレビを見なくなりました。朝の支度をする時間はAMラジオを聞いていますが、こういう生活をしていると、今ヒットしている曲がどのような曲か、全くわからなくなります。先日紅白の記事で書きましたが、よく行く場所で有線か何かがかかっていて、そこでかかっている曲がどうやら今のヒット曲らしい、と思うだけです。そこでもたまに韓国のK-popをかけていることがある、というご時世です。

 

 では何をしているかというと、ネットばかり見ているわけです。このようなブログ、ニュースサイト、そしてyoutube。ブログはこうして文章を書いていますが、他は見るだけ、とてもじゃないけどyoutuberになろうとは思いません。旅行系の動画を見ると、自分もやってみようかな、という気がしないでもないのですが、今はコロナ禍でどこにも行けず、このブログさえ雑記ブログ化している状態ですし、こだわりの強い性格ゆえ、旅行そのものが取材旅行のようになってしまいそうです。それでは旅行を楽しめません。

 

 前置きが長くなりましたが、今回紹介するのは、台湾で活躍しているyoutuberの「サンエンJAPAN」という人たちがやっている「走吧!出發去西門町」という歌です。中国語版が「サンエンJAPAN」で。日本語版が「サンエン台湾」です。三原さんという日本人が中心になってやっているようです。

 

 いろいろな動画を作って投稿しているのですが、この歌、2018年に投稿されたものです。台北の若者の街だという、西門町について歌った歌。西門町の入口で歌い踊っています。若い人はいいなあ、と思います。もっとも、私が若くても、容姿やダンスの問題でこんな動画にとてもじゃないけど出演するわけにはいきません。ですから、「若い人はいいなあ」ではなく、「この人達がうらやましいなあ」というのが正確なところでしょうか。

 

 2018年にこの動画を見つけて、妙にはまってしまい、何度も見ているうち、本当に台湾に行って、この場所がどこら辺なのか確かめてみたい、と思うようになり、2019年の春に実際にいってしまったわけです。この動画の宣伝効果があったことになります。

 

 ということで、2018年に私にとって、いちばん印象に残った曲はこの曲でした。いまや、テレビやCD、ラジオから歌が流れるのではなく、ネットで音楽に出会い、「マイブーム」的に気に入った曲を楽しむ時代なのでしょう。ちなみにこの人達、春節前の台湾版「紅白」に出場を果たしたそうです。

 

 今日を含めて3日ほど、「なぜか頭から離れなくなった曲」を紹介してみたいと思います。今年はネットでどんな曲に出会うことになるのでしょうか?

 

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17  2003年韓国短期留学の感想<その2>

 前回の感想は2003年当時のものをリライトしたのですが、今回は2021年現在、この旅行記を読み返してみての感想です。

 

 やはり18年の年月を感じますね。この韓国語学校自体もうありませんし、いろいろ変わっているところもあります。ちなみに鍾路国語学院韓国語教育院」というところでしたが、鍾路ではなく江南地区にありました。物価水準も変わっています。また、鉄道関係は相当変わっています。京義線はそのあと近代化されたはずです。2019年の訪韓の時、あちこちで鉄道工事をやっていましたが、韓国は近年相当鉄道の新設や近代化工事をやっているようです。その分風情が失われますが。

 

 それからメル友氏が2人出てきます。私は大学生の頃まで海外文通が趣味でしたが、文通が趣味という人は女性が多く、やはり相手が女性では大人になってからの長い付き合い、というのは難しくなり、文通も途絶えていました。

 

 そこでネット黎明期であったこの頃、メル友を作ろうと思い立ったときはあえて男性を選びました。長い付き合いになればいいな、と思ったのですが、結局そのあとしばらくしてメールの行き来が途絶えました。この訪韓のあと、諸事情で次の訪韓が2015年と12年間のブランクがあり、そのせいもあったかも知れませんが、基本的には私の不徳のいたすところだと思っています。人間関係維持が下手ですね。

 

 いまだに不思議なのは、一緒に水原と民俗村に行ったメル友氏の方ですが、その前にも一度会っています。ところがそのときの印象と2回目、このときの訪韓の時の印象がかなり違うのです。一回目はスマートな印象でしたが、2回目は少し太っていたように思います。私は人の顔の覚えが悪いのですが、同一人物だったのかと疑念を持つくらいでした。もう18年も経ったので印象がおぼろげになっていますが、実際どうだったのでしょうか?

 

 実はかなり無理矢理に日程を捻出して行ったので、前後に一悶着あったのですが、それでも、今読み返すと、やっぱりいい思い出にはなっているな、という印象です。語学は結局ものになりませんでしたが、全く無駄になったわけでもありますまい。

 

 今度はいつ韓国、あるいはその他の外国に行けるか、コロナの動向次第でしょうし、LCC各社の経営が相当厳しいようですので、もう、もとのように格安航空が頻繁に飛び交うような時代は来ないのではないか、という説もありますが、できればあと何度かは海外に出かけてから死にたいものです。

 

 2015年に再訪韓したとき、メル友氏に連絡しようとしたのですが、音信不通でした。せっかく親切にしてもらったのだから、できればもう一度会いたいな、と思います。ハングルで実名を出しておきます。porcoこと신은종氏と이지영氏、お元気でしょうか?

 

 当時のメールアドレスはもう使われていないようですので、このブログの存在にいつか気がついて連絡くれたら嬉しいのですが、可能性はかなり低いでしょうね。わずかな期待をもって、この連載を終えたいと思います。

 

16  2003年韓国短期留学の感想<その1>

 2003年の韓国短期留学記、一応終わりました。今回は当時書いていた断片的な感想をまとめて掲載します。またなんだかまとまりのない内容ですが、読んでください。

 

 動きの鈍い私

 きっぷの件にしても、連絡の件にしても、私は土壇場で急に思いつくことが多いので相手方を困らせることが多いですね。あと動きも鈍いし。韓国行きのときの国際電話や速達郵便の件も土壇場で思いついたわけです。

 

 韓国語について

 韓国語は英語よりやさしいと思います。学力の低い高校で英語の代わりに導入すればよいのでは、という意見を見たことがあるのですが、それはそれでよくないですね。韓国では第二外国語に「日本語」があるそうですが、選択する生徒の大半が「やさしいから」という理由だそうで、英語のように積極的学習理由が見いだしにくい科目になりやすいです。

 

 過去の偏見もありますし「韓国語を学ぶものは格好良くならなくてはいけない」とは某韓国語専攻の大学教授の言葉もありますが、日本の高校で韓国語教育を大々的に広めるときはかなり慎重にしなければならないと思います。

 

 韓国語はかつて隣国の言語なのに異常にやっている人が少なかったです。今はどうか知りませんが、私が学生の頃には東京外大で朝鮮語学科と蒙古語学科の募集人員が同じだったはずです。これはさすがにどうかと思いますね。 

 

 レッスンについて

 このコースは本来6~7人ぐらいをまとめて教えるらしいのですが、結果的にプライベートレッスンになってしまったわけです。次の週は複数の人が来ると言っていました。複数でも一週間2万円は安いですね。2人で申し込むと15000ウォンのテキスト代がただで、3人以上だと授業料自体が割引になるそうです。女の人は複数で申し込むケースが多いとかいっていました。

 

 韓国のカメラについて

 韓国製のカメラって見たことありますか?電気店でチラチラと見ただけですが、家電に比べると日本製が幅をきかせているような気がしました。

 

 メル友氏について
 韓国メル友は掲示板で知り合いました。何人かとメールのやり取りをしましたが、まあウマの合う人が残りますね。2人のうち1人は職場でメールしていたのですが、異動で彼の方がメールが出しにくくなって、そのうち転職してしまいました。で、一度メールのやり取りが切れていたのですが、よさそうな人だったので会ってみたかったわけです。会ってみるとやはりいい人でした。

 

 ドライブの彼も実際にメールのやり取りをしていた期間は長くないのですが、この人とは以前会ったことがあるので、また連絡したわけです。

 

 メル友氏とは日本語半分、韓国語半分というところです。面倒くさいときは日本語、余裕のあるときには韓国語という感じでした。

15  韓国短期留学8日目~帰国まで(2003年1月12日)

 旅行記最終回ですが、飛行機に乗るだけです。8日目 2003年1月12日(日)

 

 10時の飛行機なのですが、仁川空港は遠いし、昨日の交通渋滞に懲りたので朝の6時に出発することにします。ホテルのおじさんとお別れ。ここのおじさんおばさんも親切でした。「今度はいつ来るの」「また来てね」といってくれましたが、場所が悪いので今度は泊まるかどうか?やはり旧市街の方が観光には便利です。

 

 そうはいっても空港バスはホテルの目の前から出ます。朝6時ですからなんだかんだいっても空いていました。それでも遠いので1時間以上はかかります。仁川空港について手続きをします。空港の女職員の日本語はなぜか幼く聞こえます。

 

 そのあとお土産を買います。土曜日ドライブしたので買い出しが出来ず、仕方ないので空港でシャンプーとか変な物を買い込みます。韓国シャンプーは成分が強いのか何か妙に髪の毛がふわふわツルツルします。キムチに海苔にお菓子・・・お金が結構残っていたのでついいろいろ買ってしまいます。それでも残ってしまい、再両替。金曜日に土曜のドライブに備えて地下街の銀行で両替した(このときも韓国語で話したら妙に愛想が良かった)のですが、結局ほとんどメル友氏が出してくれたので使わずじまいに終わってしまったのです。

 

 韓国の地下鉄で募金がやたらに多いという話を書きましたが、高速道路の料金所でも寒空の下、募金やっていました。おつりをもらおうという魂胆で、メル友氏も入れていましたが、実に募金の多い国です。

 

 それから待合室に入ります。手続きは簡単。韓国の最後はギョージャマンドゥ(餃子のことを「饅頭」という)4000ウォンを食べました。

 

 大韓航空KE765便10:00発。韓国さよならです。しばらくして能登半島上空を通り、千歳到着12:35。エアポートに乗って札幌に出て、青春18きっぷ利用ですのでしばらく札幌でまたサウナに行ったりウダウダしたあと、いつも乗る山線経由で小樽乗換え、普通列車で帰ってきました。

 

 駅からタクシーに乗ったらサウナに行ったあとなのに「お客さん焼肉定食でも食べたんですか?」と聞かれました。韓国でおいしいものばかり一週間も食べていたので相当臭っていたんでしょうね。

 ということで終わりです。汽車の話はほとんどなかったのですが、お付き合いありがとうございました。