写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

17  2003年韓国短期留学の感想<その2>

 前回の感想は2003年当時のものをリライトしたのですが、今回は2021年現在、この旅行記を読み返してみての感想です。

 

 やはり18年の年月を感じますね。この韓国語学校自体もうありませんし、いろいろ変わっているところもあります。ちなみに鍾路国語学院韓国語教育院」というところでしたが、鍾路ではなく江南地区にありました。物価水準も変わっています。また、鉄道関係は相当変わっています。京義線はそのあと近代化されたはずです。2019年の訪韓の時、あちこちで鉄道工事をやっていましたが、韓国は近年相当鉄道の新設や近代化工事をやっているようです。その分風情が失われますが。

 

 それからメル友氏が2人出てきます。私は大学生の頃まで海外文通が趣味でしたが、文通が趣味という人は女性が多く、やはり相手が女性では大人になってからの長い付き合い、というのは難しくなり、文通も途絶えていました。

 

 そこでネット黎明期であったこの頃、メル友を作ろうと思い立ったときはあえて男性を選びました。長い付き合いになればいいな、と思ったのですが、結局そのあとしばらくしてメールの行き来が途絶えました。この訪韓のあと、諸事情で次の訪韓が2015年と12年間のブランクがあり、そのせいもあったかも知れませんが、基本的には私の不徳のいたすところだと思っています。人間関係維持が下手ですね。

 

 いまだに不思議なのは、一緒に水原と民俗村に行ったメル友氏の方ですが、その前にも一度会っています。ところがそのときの印象と2回目、このときの訪韓の時の印象がかなり違うのです。一回目はスマートな印象でしたが、2回目は少し太っていたように思います。私は人の顔の覚えが悪いのですが、同一人物だったのかと疑念を持つくらいでした。もう18年も経ったので印象がおぼろげになっていますが、実際どうだったのでしょうか?

 

 実はかなり無理矢理に日程を捻出して行ったので、前後に一悶着あったのですが、それでも、今読み返すと、やっぱりいい思い出にはなっているな、という印象です。語学は結局ものになりませんでしたが、全く無駄になったわけでもありますまい。

 

 今度はいつ韓国、あるいはその他の外国に行けるか、コロナの動向次第でしょうし、LCC各社の経営が相当厳しいようですので、もう、もとのように格安航空が頻繁に飛び交うような時代は来ないのではないか、という説もありますが、できればあと何度かは海外に出かけてから死にたいものです。

 

 2015年に再訪韓したとき、メル友氏に連絡しようとしたのですが、音信不通でした。せっかく親切にしてもらったのだから、できればもう一度会いたいな、と思います。ハングルで実名を出しておきます。porcoこと신은종氏と이지영氏、お元気でしょうか?

 

 当時のメールアドレスはもう使われていないようですので、このブログの存在にいつか気がついて連絡くれたら嬉しいのですが、可能性はかなり低いでしょうね。わずかな期待をもって、この連載を終えたいと思います。