写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

08  自己肯定感の低い私

 自己肯定感、という言葉があります。皆さんは自己肯定感の高い人間でしょうか?私はどちらかといえば、というより、かなり自己肯定感の低い人間です。なんでこんな人間に生まれてきたのだろう、と思います。

 

 グダグダクヨクヨしてばかりいるし、出来ることと出来ないことの落差が激しく、凸凹人間です。あと、他人と関わるのが苦手ですね。ですから独身でここまで来ましたし、ひとりでいるとホッとします。

 

 世の中にいろんな人がいるもので、客観的に見て私より恵まれていない立場の人もいるのだろうとは思うのですが、むしろそういう人の方が自己肯定感が高いのではないか、と思うことがあります。経済的にも社会的にも苦しい立場に置かれているのに、明るい顔をして「自分は幸せ」などと言える人が信じられないのです。

 

 そういう人と自分を比べると、客観的には自分の方がまだ恵まれているのかな、と思うのですが、でも幸せ感では自分の方が劣っているわけです。生まれついた性格なのだろうな、とは思うのですが、そんな性格に生まれついてしまったわけです。

  

 友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

 

 という石川啄木の歌がありますが、友もいないほうがいいかな、比べてしまうし、と思ってしまいます。友でなくとも、同僚職員はみなきちんと働いていてえらいなあ、自分はダメだなあ、と思ってしまうのです。

 

 近頃、自己肯定感を高めよう、などと書いているのを目にすることがありますが、そんなこといわれてもなあ、と思います。そんなこと言われると余計にへこむネガティブ人間です。そんなにうまくいくわけないじゃないですか。生きるのって難しいなあ、と思うばかりです。

07  元気のない日

 自分も50歳を過ぎて、元気がないなあ、と思います。若いときから元気のない人でしたが、今この年齢になって、ますます元気がなくなってきました。先日「ラジオパーソナリティーの高齢化」という記事を書きましたが、どうしてラジオに出ているひとたちは私より20歳、あるいはそれ以上年齢が上なのに元気なのだろうと思います。自分はもうそろそろ引退したいな、と思いますが、もう少し働かねばいけないのかなあ、と思ったり。

 

 65歳、あるいは70歳まで働け、というご時世のようですが、元気のある人はともかく、私はそこまで働く元気はないですね。さりとて決断力のある人間ではありませんから、早期退職が頭をよぎっても、なかなか踏み切れないところです。肩たたき、のようなものはあるかも知れませんが、そのようなものがあったときにどうするかでしょうね。

 

 こちら北海道は6月になるといい天気の日が多く、さほど暑くもないし、寒くもないし、という、よいシーズンを迎えますが、それにもかかわらず私のメンタルはあんまりよくありません。メンタルだけでなく、やる気もなければ体力もない、といったところです。

 

 とうことで、たいして書くことも思い浮かばないし、単なる愚痴を書き連ねてしまいました。世間の人は仕事もきちんとやり、私はやっていない家族の世話もやり、えらいなあ、と思います。私は仕事すらも思うようにいきません。

28  「在宅ひとり死」を考える

 もうこのところyoutubeで視聴した動画の感想ばかり書いているのですが、先日は東大名誉教授の上野千鶴子氏が「ラジオ深夜便」に出て「在宅ひとり死」についてインタビューを受けているのを聞いていました。これもよくないのかも知れませんが、本放送を聴いていないので、こういうものがyoutubeにアップされると助かるのもまた事実です。

 

 上野氏は女性学の権威的存在で、また「おひとりさまの老後」という本を出してベストセラーにした人です。私は男性ですから、女性学というのはどうだかなあ、と思わないではないのですが、一方で私も「おひとりさま」ですから、こういう話には興味があります。

 

 孤独死ということが社会問題になっています。上野氏はこの言葉に対して「在宅ひとり死」とネーミングし、「死後一ヶ月で発見」などということでなければ、このような死に方はいい死に方なのではないか、というスタンスで話をされていました。

 

 実は私も同感で、むしろ「孤独死」あるいは「在宅ひとり死」したいのです。実は先日「人間関係の下手な私とメールのやりとり」の記事で取り上げた知人はそのやりとりの中で「孤独死の現場」という写真を送って「こうなりたくないもんだ」と書いていました。そんなものを見せられては不快ですが、でも、孤独死そのものはそんなに悪くないのではないか、と思います。私はむやみやたらな言葉の言い換えには否定的な立場で、「孤独死」を「孤立死」だとか「在宅ひとり死」と言い換えれば済むとは思っていませんが、私はむしろ「孤独死」あるいは「在宅ひとり死」って理想ではないか、とさえ思います。

 

  ただ、上野氏の話を聞いていると、これはずいぶん贅沢な話なのではないか、という気がしてきました。ヘルパーさんが来て世話をしてもらい、ある日ヘルパーさんが訪問したら死んでいた、となればよい、というのですが、我々が老人になる頃には孤独死が普通のことになるでしょうから、そんなにヘルパーさんを頼めるのか、と思いますし、むしろ身寄りのない老人は施設か何かに押し込められてしまうのではないかとすら思います。そうなると、憲法の「居住・移転の自由」に反するようにも思いますが、そうも言っていられなくなるかも知れません。経済的にも人的にもそんなに潤沢に資源が活用できるものなのでしょうか?

 

 孤独死で困るのは、本人よりもむしろ周囲だろうと思います。なるべく迷惑をかけないように死にたいとは思いますが、自分で自分の後始末はできません。今後行政の課題になるのか、民間の「後始末サービス」業者が生まれるようになるのか、今でも「特殊清掃業者」が話題になりますが、今後こういう商売は繁盛するのではないかと思います。ただ、誰が費用を出すのか、本人が事前に用意するべきか、公費か、親族か、という問題は残りますね。

 

 せめて施設でもやむを得ないから個室で死にたい、と思いますが、その望みは叶えられるかどうか?難しいのかな、と思ってしまいます。それでも「ひとり死」したいというのが私の望みです。まあ、どこかで事故に遭うかも知れませんし、死に方なんて理想通り行かないのでしょうけどね。

 

 

 

 

47  アイスランドからの手紙

 旅行記などを掲載していた関係で、5月初めの話を今頃掲載するのですが、ある日、職場から帰宅したら、昔、文通をしていたアイスランドの人からの手紙が来ていました。

 

 私は大学生の頃、海外に興味を持っていたので、英語が苦手だったくせにむやみに多くの方々と海外文通をしていました。その中の一人です。文通、という趣味はどちらかと言えば女の子が好む趣味で、文通相手も女性が多く、その後ほとんどの方とは文通が途絶え、音信不通になってしまいましたが、この方は男性だったこともあって、文通自体は途絶えていたものの、連絡はついていました。

 

 アイスランド人ということが珍しく、文通をはじめた方でしたが、就職してからは英語で手紙を書く時間がなかなかとれず、もう長い間こちらがクリスマスカードを送ると返信カードか簡単な礼状が来るだけだったのです。

 

 そんな方から、ずいぶん久しぶりにちゃんとした手紙が来たわけです。ただ、以前からそうだったのですが、この方の字が非常に読みにくく、ただでも英語がわからないのに手紙の判読が難しく、難渋しました。

 

 以前から、文字が読みやすいメールでやりとりが出来ないか、と思い、こちらのメールアドレスをカードに書いて送っていたのですが、メールが来ることはありませんでした。もしかしたらメールなど使っていないのかも知れません。

 

 アイスランドという北欧の小国の田舎町で、メールも使わずに暮らしているのかなあ、と思うと、それはそれで牧歌的な、好ましい暮らしに思えますが、実際にそうなのかはわかりません。

 

 せっかくの手紙ですから、一生懸命文字を判読して読んでいきました。正確に読解できたかわかりませんが、どうもコロナで仕事がヒマ、ステイホームを余儀なくされているので久しぶりに手紙を書いてみた、ということのようです。

 

 4月4日付の手紙が5月初めに着きましたから、やはりコロナで遅延しているのでしょうか。以前は一週間程度で着いていたはずです。

 

 せっかくだから返信をしました。とはいっても、もう長い間英語の手紙を書いていないし、昔、この方に「英語の能力が低い」と書かれた覚えがあります。一から英語の手紙を書く元気もないので、google翻訳を使って文章を書き、英語の堪能な知人の方に一応見てもらって送りました。文通相手に送る手紙を見てもらう、というのは小っ恥ずかしいのですが、やむを得ません。また、見てもらったとは言え、もとは機械翻訳ですから、これで大丈夫なのかな、と思います。でも時代の変化を実感しました。google翻訳は便利ですね。

 

 さて、返事は来るでしょうか?今どきのメールやメッセージはすぐ送付されますし、返事を書かずに「既読スルー」すると、気を悪くされたりします。昔の郵便による文通のように、一ヶ月や二ヶ月ごとに一回ずつ手紙を送り合う、という方が、生活のペースに影響を与えず、無理がなくてむしろ好ましいのかも知れませんね。

 

15  ラジオパーソナリティーの高齢化

 以前書いたように、ラジオが壊れてから、朝のラジオは「ラジコ」で聞くことが多いのですが、なぜかときどき地域設定が「東京」になってしまうようです。

 

 それで、しばらく地元局が聞けませんでした。4月にもこういうことがありました。どうしてそうなるのかわかりません。数日すると自然にもとの「北海道」設定に戻ります。

 

 ということで数日間、TBSの森本毅郎スタンバイ」を聞きました。千歳にすんでいた頃、有線放送をつけていたので毎日この放送を聞いて出勤していました。正直なところ、スポーツにあまり興味がないので、HBC(北海道放送)の日本ハムコンサドーレの話ばかりしているローカル番組より面白いと思ってしまいます。

 

 しかし森本毅郎氏はもう80歳ぐらいのはずですが、いまだに早朝の放送を毎日やっているのですね。相方の遠藤泰子氏も長年永六輔氏の相方だった人で70代のはず。その前の番組はTBSもHBCも生島ヒロシ氏の「おはよう一直線」という番組ですが、氏も先日70歳になったとか。

 

 いつもはそのあとにHBC(北海道放送)のローカル番組を聞くのですが、パーソナリティーの桜井宏氏も70歳だそうです。高齢者ばかりですね。

 

 昔、有線をつけていたとき、違法だったそうですが東京・大阪・名古屋のラジオを聞くことが出来ました。そのとき、大阪の浜村淳氏の番組をよく聞いていましたが、氏も80歳過ぎてまだやっているようです。大阪にいた30年前、朝に母親がABCの道上洋三氏の番組をつけていましたが、これまた道上氏もいまだ現役なのだとか。

 

 ラジオパーソナリティーは聞く人が高齢化しているせいか、全然変わりませんね。代わるとリスナーが離れていくのかも知れません。生島ヒロシ氏ですら比較的最近番組を始めたような気がしていましたが、もう20年ぐらいになるそうです。

 

 有線をつけていた20数年前、TBSで「秋山ちえ子の談話室」という番組があり、秋山氏は80歳まで放送していました。あのころは80歳で番組を持つなんてびっくり、と思っていましたが、今はワイド番組のパーソナリティーも70代80代がゴロゴロ。皆さん元気ですね。

 

 こんなところも高齢化だなあ、と思ってしまいます。さすがにあと10年も20年も出来ないと思うのですが、新陳代謝が進んでいなくて大丈夫なのかな、という気もしますね。