写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

28  「在宅ひとり死」を考える

 もうこのところyoutubeで視聴した動画の感想ばかり書いているのですが、先日は東大名誉教授の上野千鶴子氏が「ラジオ深夜便」に出て「在宅ひとり死」についてインタビューを受けているのを聞いていました。これもよくないのかも知れませんが、本放送を聴いていないので、こういうものがyoutubeにアップされると助かるのもまた事実です。

 

 上野氏は女性学の権威的存在で、また「おひとりさまの老後」という本を出してベストセラーにした人です。私は男性ですから、女性学というのはどうだかなあ、と思わないではないのですが、一方で私も「おひとりさま」ですから、こういう話には興味があります。

 

 孤独死ということが社会問題になっています。上野氏はこの言葉に対して「在宅ひとり死」とネーミングし、「死後一ヶ月で発見」などということでなければ、このような死に方はいい死に方なのではないか、というスタンスで話をされていました。

 

 実は私も同感で、むしろ「孤独死」あるいは「在宅ひとり死」したいのです。実は先日「人間関係の下手な私とメールのやりとり」の記事で取り上げた知人はそのやりとりの中で「孤独死の現場」という写真を送って「こうなりたくないもんだ」と書いていました。そんなものを見せられては不快ですが、でも、孤独死そのものはそんなに悪くないのではないか、と思います。私はむやみやたらな言葉の言い換えには否定的な立場で、「孤独死」を「孤立死」だとか「在宅ひとり死」と言い換えれば済むとは思っていませんが、私はむしろ「孤独死」あるいは「在宅ひとり死」って理想ではないか、とさえ思います。

 

  ただ、上野氏の話を聞いていると、これはずいぶん贅沢な話なのではないか、という気がしてきました。ヘルパーさんが来て世話をしてもらい、ある日ヘルパーさんが訪問したら死んでいた、となればよい、というのですが、我々が老人になる頃には孤独死が普通のことになるでしょうから、そんなにヘルパーさんを頼めるのか、と思いますし、むしろ身寄りのない老人は施設か何かに押し込められてしまうのではないかとすら思います。そうなると、憲法の「居住・移転の自由」に反するようにも思いますが、そうも言っていられなくなるかも知れません。経済的にも人的にもそんなに潤沢に資源が活用できるものなのでしょうか?

 

 孤独死で困るのは、本人よりもむしろ周囲だろうと思います。なるべく迷惑をかけないように死にたいとは思いますが、自分で自分の後始末はできません。今後行政の課題になるのか、民間の「後始末サービス」業者が生まれるようになるのか、今でも「特殊清掃業者」が話題になりますが、今後こういう商売は繁盛するのではないかと思います。ただ、誰が費用を出すのか、本人が事前に用意するべきか、公費か、親族か、という問題は残りますね。

 

 せめて施設でもやむを得ないから個室で死にたい、と思いますが、その望みは叶えられるかどうか?難しいのかな、と思ってしまいます。それでも「ひとり死」したいというのが私の望みです。まあ、どこかで事故に遭うかも知れませんし、死に方なんて理想通り行かないのでしょうけどね。