写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

11 安倍氏と「知性」<その2>

 昨日の続きを掲載します。「知性」を論じる私の知性、あるいは理性・品性も問題視されるかも知れませんが、よろしければお読みください。 

 

 白井氏や知人、その他の論者も含めて、安倍氏の批判に「知性」という言葉を使うからいけないのかな、とも感じました。知性という言葉を使うと、知識の多寡、あるいは頭の善し悪し、という方面を連想してしまいます。この言葉がいいか、もっと適切な言葉があるのかも知れませんが、例えば「理性的」という言葉でも使えばいいのでは、と思いました。「知性」という言葉は誤解されやすく、「反知性主義」もあることですから、安易に「知性」という言葉を使うのは避けた方が妥当なのかも知れません。

 

 「知」という言葉はトゲを持っていて、「上から目線」を感じさせる言葉です。ですからまだ「理性的」の方がよいと思うし、さらにもっと別のいい言葉があるのではないかと思います。

 

 安倍氏が首相として、経済政策のイロハをわかっていないのに「アベノミクス」をとなえていたり、憲法の条文や論争史も知らずに憲法改正をとなえているのならば、「知性の欠如」ということも出来るでしょうが、とりあえず、そうとは思えませんし、首相の職務をこなすことはできていました。

 

 それ以上の教養を求めて、それがなさそうだから、とあげつらうのはちょっと違うかな、とは思います。歴代首相で「知性派」と言われた人に大平正芳氏や中曽根康弘氏がいました。またエリートの典型として福田赳夫氏や宮沢喜一氏がいました。彼らと比較して安倍氏には知性がないと言えるかも知れませんが、それでは「左」の人は大平氏や中曽根氏には「知性」があったと認めるのでしょうか?

 

 安倍氏にとりわけ「知性」が問題視されるのは、学歴の他に次のような事情もあると思います。あまり論じられていないのですが、安倍氏自民党が野党に転落した1993年選挙で初当選し、自民党の歴代首相の中で、自民党結党以前に野党党首を経験した人物を除くと、唯一の、短期間ながら野党党首の経験を持つ人物なのです。従って、自民党の中では「野党性」の強い政治家なのかも知れません。野党時代に身につけたのであろう、攻撃的な物言い、あるいは「悪夢の民主党政権」に象徴される「レッテル貼り」が目立ち、逆に与党政治家としては防御があまり得意ではなく、疑惑や不人気政策の説明は「はぐらかし」と見られる。それがある種の「知性のなさ」というよりも「品のなさ」や「不誠実さ」を感じさせてしまうのではないか、と感じていました。

 

 さらに、安倍氏本人よりも周囲の人間、あるいは「安倍応援団」といわれる人たちに、調子に乗って威勢のいいことを言っている人が目立つ、という印象がありました。これらの人々に対しては、私は強い違和感を感じます。

 

 また、誰とは言いませんが、安倍氏より「学歴」が高く、論も立つのに、攻撃的で「品」を感じられない政治家を何人も頭に思い浮かべることができます。

 

 むしろこれからは「知性」より「理性」、あるいは「品性」が政治家の資質として大事になってくるのではと思います。第一次政権や第二次政権の初期には、私も安倍氏が突っ走っているのではないか、これでは「保守」というより「反動」ではないか、と感じていましたが、今はかつて突っ走っていた安倍氏がマシに見えるほど、理性や品性を欠く政治家が多いと思います。

 

 次の総理大臣、大丈夫ですかね?