写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

07  安倍氏の国葬が終わりましたが… 

    しばらく不在にしていたので少し前の話になってしまいますが、安倍元首相の「国葬」が終わりましたね。私の職場では黙祷も何もなく、今多分やっているのだろうなあ、と仕事の間にふと思っただけでした。

 

 私が覚えているのは大平首相が現職で亡くなったときの葬儀で、山口県の小6でしたが、昼休みに黙祷の校内放送が入った覚えがあります。このときは「内閣・自民党合同葬」だったそうです。

 

 それより格上の国葬というなら、半旗掲揚、黙祷ぐらいは求めるべきだったのでしょう。やってもやらなくてもいい、という曖昧な姿勢がこれまたよくありません。

 

 考えてみれば、昭和天皇の皇后だった香淳皇后のときもこれといった印象はありませんでしたから、安倍氏国葬はやはり大げさすぎたのでしょうね。

 

 返す返すも不思議なのは、安倍氏支持派がなんでこんなに安倍氏にシンパシーを寄せているのだろうか、ということです。長期政権だということであれば、小泉元首相や中曽根元首相もそうでした。小泉氏など、瞬間風速的な支持率の高さは安倍氏よりもかなり上だったように思いますが、小泉氏に対してこれだけのシンパはいないように思います。

 

 まだ長期政権になる前、第一次政権の時のことですが、何の根拠もなく、ただ漠然と持っていただけなのですが、安倍氏天皇に取って代わるのでは、とか、紅白歌合戦をやる代わりに「安倍首相この一年」という番組をやりそう、という妄想を抱いたことがありました。全くの妄想なのですが、それでもなんとなく、そんな感触を持ったことも確かです。

 

 私は安倍氏にシンパシーも尊敬の念も持ちませんでしたが、一部の人はかなり強くそういった感情を持っていたようです。他の保守政治家に見られない、ある種の魅力、それを感じない人にとっては魔力を持った政治家だったのかもしれません。菅前首相の弔辞も「心に染みた」人とそうでない人がいるようですね。

 

 安倍支持が強くて深い分、不支持派の危機感も強く、中傷に近い言葉も投げつけられました。不支持派は一応、お悔やみと暗殺への批判をしていますが、内心ホッとしている人も多いのではないでしょうか?

 

 不支持派に対しては「やりすぎ」との思いがあり、これまた共感できませんが、一応「危機感の表れ」であったのだろう、という理解はできます。

 

 一方、支持派の思い入れの強さが理解できません。単に自民党を勝たせた、右派的姿勢が受けた、ということなのか、もっと違う何かがあるのか、特に安倍心酔派の人たちに聞いてみたい気がします。

 

 安倍氏のどこに「惚れた」のですか?