写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

13 3~4日目シベリア鉄道オケアン号<その2>(2019年8月5~6日)

 さっき、一応夕食を食べたのですが、改めて食堂車へ行きたいと思います。1等車と2等車を過ぎ、3両目が食堂車。乗る前に確認しました。車両側面にресторанという表示があります。これで「レストラン」と読みます。つまりp=r、c=s、h=nとなります。車両デッキと貫通部は古くさく武骨なつくりでちょっと怖いです。行くと満席で係員は戸惑っていたようでしたが、相席に案内されます。

 ロシア人のじいさんがビールを飲んでいました。メニューを見ますが、ロシア語です。ただ、スープとか、サラダとか、ドリンクなどは英語で書いてあります。スープ類のなかにソリャンカというのがあるのを読み取れたので、それと、白ワインの中で値段だけ見て、一番安いものを頼みました。ウォトカは昨日飲んだし、きつすぎるので敬遠。周囲もほとんど酒を飲んでいますし、北斗星末期以来食堂車ではワインを飲むことにしています。今はコンパートメントでの飲酒は禁止、という情報を見ました。

 私は何度か北斗星ブルートレインも乗っていますが、寝台車や食堂車はほぼ日本では絶滅。韓国や台湾でもなくなったらしいですから、若い人の方がこういうものに感激するんだろうなあ、と思います。ソリャンカというスープは、昔シベリア経由でヨーロッパに行ったとき、当時手紙のやりとりをしていた旧東ドイツのおじさんにドレスデンのいかにも社会主義風の殺風景な駅食堂で「困ったらこれを頼め」と教えられたものです。ブルガリアのス-プだ、とか言っていた覚えがありますが、要するにスラブ系なのでしょう。具だくさんでスパイシーなスープでした。ワインは「CASA NERI」と書いてあって、どこのものかと見てみたら、どうやらスペインのもののようでした。

 酔ったせいか向かいのおじさんに「イポーネツ(日本人)」とか「ヤ ネ ガバリーユ パ ルースキー(ロシア語しゃべれません)」とか、知っている片言のロシア語を言ってみます。おじさんはしばらくして自分がいる進行方向の席に座ったら?という仕草をして行ってしまいました。うさんくさいと思われたのでしょうか?ワインが500ルーブル。ソリャンカ400ルーブル。ガイドブックでは悪趣味な紫色の内装の写真でしたが、今回乗った食堂車は落ち着いた赤を基調とした内装でした。

 

 戻るとコンパートメントに鍵がかかっており、車掌に開けてもらおうと車掌室に行きます。ところが、車掌はそれよりお土産は?というふうにロシア風のガラスコップに金属の袴を着けたティーカップやいろんな物を見せ始めます。困りましたが、結局一番安い蒸気機関車のキーホルダーを250ルーブルで購入。チップだと思うしかないです。鍵を開けてもらい、寝ます。ここまで1人なのでこのままなのかなあ、と思います。

 寝ていると、深夜0:10頃、どこかの駅で、ガヤガヤと音がして中国語が聞こえます。中国人団体客ご一行様のようです。一体こんな途中駅で何で乗り込んでくるのだろう、と思っていたのですが、車掌が鍵を開け、結局私のコンパートメントにも乗り込んできました。老婆とおばさん。両方上段客のようです。おばさんが老婆を押し上げますが、なかなか登れません。

 私はさっきあれこれ設備をいじっていたので、ハシゴの使い方がわかります。ハシゴを設置してやる「謝謝」と言われます。カーテンがないのでそのまま寝ます。今度は1:10頃停車した駅でロシア人女性が私の反対側の下段寝台に乗ってきます。深夜なのに乗ってくるなあ、と思います。結局4人になりました。

 

 そのまま寝込み、目が覚めると朝になっており、6:12に駅に着きました。「ウスリースク」と読めます。ここまでは電子ビザで来られます。なーんだ、と思います。朝食が4人分運ばれます。これは料金に含まれているようでした。ロシア風の春巻き、これに塩をつけて食べるようです。あとはパンとフルーツヨーグルト、クッキー、(水もあったかな?)。

 昨日の夕食についていたのですが、食堂車に行くのに備えて食べ残しておいたマドレーヌとお茶も試してみます。お湯は車両の端にあるサモワールから給湯します。なんだか優雅そうですが、名前だけで、職場にある給湯器と変わりません。しばらく平原地帯を走ります。北海道と似ていますが、人家が全く見えないところがあるのが違います。

 深夜乗ってきた中国人のおばさんがどこの駅から乗ったのか気になったので、筆談で「上车车站哪儿?」(これは不正確だったようです)と書いて見せます。返事は「ビキン」という駅からのようでした。確かにそういう駅があります。今度はどこから来たのか聞こうと思って中国の絵を描いてどこから?と聞きます。黒竜江省から来たようです。日本人が知らない、そういうルートがあるんだなあ、と思います。

 向こうも「您是旅游还是出差?」と書いてきます。どこからきたのか?かな、と思い、ベイハイダオ(北海道)と答えますが、後で考えるとどうもYシャツ姿だったので「出張か?」と聞いたようでした、ですから変な顔をしていました。他にも聞いてきたのですが、中国語がわからず、残念でした。老婆は上段が居心地悪かったのかいなくなりました。ずっと窓を見ていたのですが、おばさんも朝食を食べるだろうから、と思い、席を外して通路に出て反対側も眺めます。簡易椅子のようなものはありませんでした。トイレかどっかに行って戻ってみると、やはり食べていました。

 を車掌から60ルーブルで買いましたが、пялеика(?)というものだったようです。何度目か席を外したとき、扉が閉まっていて、おばさんが「中のロシア人が着替えているから」という仕草をします。中国人のおばさんとは言葉がわからないなりにコミュニケーションしましたが、ロシア人の方は一切そういうことはありませんでした。

 

 列車は終着近くなったようで、入江に沿って走ります。途中でむやみに長い高架橋のような橋が見えました。駅には通勤客らしき人たちも見えます。だんだん建物が増えてきました。そうこうするうち、定刻8:27にウラジオストクに到着しました。27年前はウラジオストクはまだ閉鎖都市でしたので、ハバロフスクからモスクワへ行きました。27年目にしてシベリア鉄道完乗です。車内で買ったキーホルダーと同じと思われる蒸気機関車が保存されていました。