写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

14 4日目ウラジオストク午前中 駅と鷲の巣展望台・潜水艦博物館など(2019年8月6日)

 さて4日目、8月6日(火)ウラジオストクにやってきました。

 

    まず自体が観光地扱いされていますが、ハバロフスクと似た感じです。駅舎はやや陰鬱かなあ、という印象を持ちました。とりあえずトイレ20ルーブル。その付近に荷物預かり所が見つかり、170ルーブル。自分で部屋に入って置かされます。待合室などや展示もあったので見て出ます。駅前はハバロフスクより賑やか、悪くいえば落ち着きがないです。

 

    「ボストーク」が「東」で、「ウラジオストク」とは「東を征服せよ」という物騒な名だと聞いたことがあります。「ウラジオ」さらに昔は「浦塩」と書いたようですが、これは不適当なようですね。線路のあるところが低く、駅の出口は一段高いところに。斜面にあるからでしょうが、小樽駅と反対です。

 タクシー運転手から声をかけられますが、バスで行きます。駅前のキヨスク地図を買います。「カルタ」というと、大声で「カルト?」といわれます。こちらの方が正確なのか。350ルーブルだった気が。(250かも?)

 

 ウラジオストクは2016年に駅前からの路線をはじめ、市電の大部分が廃止されたそうで、郊外にしか残っていません。余裕があったら行こうかと思いましたが、ハバロフスクでずいぶん乗ったし、結局行く時間もありませんでした。市電がないと寂しいです。トロリーバスも見かけませんでした。ハバロフスクより活気があり、近代化が進んでいる印象ですが、こっちとしては面白みがありません。

 

 仕方ないのでバスに乗ります。黄色いバスが多く、31番バスというのが便利だ、というのでそれに乗ります。本来下りるべきところより1つ行きすぎてしまい、サーカスの劇場の前で下ります。23ルーブル均一。ワンマンで、運転手の横にある皿におくとおつりをくれるシステム。結構原始的です。

 

 少し戻って、そこから上に登ろうとするのですが、この町は横断歩道の信号が整備されておらず、車が多い大通りを信号がない状態で横切らなければならないです。怖い怖い。ロシア人のあとについて渡ったりしていましたが、何度かやっているうち、車が止まってくれることに気づきました。

 

 坂を登ってケーブルカーの駅に着きます。「鷲の巣展望台」というのが名所で、ここに行くにはケーブルカーで行くのです。一番の名所というので行列覚悟かな、と思ったのですが、何のことはない、ガラガラ。14ルーブルを払い、ケーブルカーに乗ります。駅はコンクリート打ちっぱなしで古く、殺風景でがらんとしています。短時間で上まで登ります。上の駅も殺風景。ここから展望台へ行くのですが、これまた大きな道路を越さなければなりません。逡巡しましたが、地下道がありました。一般観光客はこの道路をバスで来るようです。

 展望台に登りました。ウラジオストク一番の名所というのですが、驚いたのはレストハウスも屋台も何もありません。ただ展望台があるだけ。事前に見た動画ではありそうだったのでびっくり。どうも後ろが更地になっていたのでなくなったのかも。景色は確かによい景色です。金角湾という入江の細い水道を「金門橋黄金橋とか、ゾロトイ・ブリッジともいうらしい)」という2012年に出来た白い橋がまたいでいます。

 

 「東洋のサンフランシスコ」というキャッチフレーズがあるようですが、私はなんだか尾道に似ているなあ、という印象を持ちました。もちろん瀬戸内海とはちがってロシア風の建物が眼下にあるのですが、海峡の具合が尾道水道と同じくらいです。尾道と釜山とパリを合わせたような感じ、という印象をもちました。

 

 韓国人中国人客が多いなあ、と思っていたら、シベリア鉄道で同室だった中国人のおばさんたちに出くわし、声をかけられます。びっくり。写真を撮って、という仕草をされて、撮ります。今度は一緒に、という仕草をされて、写真を撮ってもらいます。いろいろ言われますが、よくわかりません。「一个人?」(ひとり?)と言われたのだけわかりました。しばらく眺めて戻ります。ケーブルカーの駅から行き交う電車(?)を眺め、さっき乗った青い電車の反対側の赤い電車が来るのを待って乗ります。こういうところにこだわります。かえりも14ルーブル

 を出て、横に行くと「しょんぼりプーシキン像」というのがあって、小さくて陰鬱な噴水がチョロチョロ出ています。そこにも韓国人観光客がいました。裏道をとぼとぼ歩いて、そのあと表通りへ。金門橋の下をくぐり抜けたあたりにプリモーリエ銀行の本店というのがあり、これは白に水色の塗色でなかなか美しい建物でした。町並みはハバロフスク同様、ロシア風の古い町並みが続いてますが、どことなく港町風。函館とか下関にこういう建物のもっと小さいのがあったような気がします。「日本から一番近いヨーロッパ」というキャッチフレーズで売り込んでいるようです。

 そのあと、公園に出て、海辺へ向かいます。小さい教会がありました。ところがこの公園で、また例の中国人おばさん御一行様と出くわします。お互い「あれーっ」ってなりますが、また。「一个人?」以外わかりません。

 

 そのあと海辺に出て、C-56潜水艦博物館というのがあります。ウラジオストクは軍港だったので潜水艦を内部公開しています。中国人団体客が並んでいます。韓国人もいるよう。やめようかと思ったのですが思い直し並ぶと、思ったほど待たず、100ルーブルを払って中に入ります。窓口のロシア人おばさんは「ハーハー」としんどそうなそぶりを見せます。中が狭いけど大丈夫?ということでしょう。

 

 内部は前半が展示、後半は昔のまま機器室や仮眠室がありました。部屋の区切りが小さくて丸い通路なので、確かにくぐるのに一苦労です。出てみると土産物を売っています。写真を撮らないので代わりに絵はがきを買うことにしています。すると売り子のロシア人兄ちゃんはそれまで中国語だったのに「200ルーブル、ありがとう」と日本語で言います。これなら韓国語も使えそうです。外では中国人団体客にロシア人の兄ちゃんが中国語でガイドしています。韓国語使いもいたようでした。不思議な光景ですが、これが今の極東の現実なのでしょう。

 軍艦が見える海沿いの道を歩きます。横に引き込み線があるので、これを利用して電車走らせればいいのに、と思います。ロシア正教の聖堂が見え、駅裏から跨線橋を渡り、再び駅前へ。このときだったか、それとも朝だったか、「妙高交通安全協会」と書いている車を見かけました。