写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

12 3~4日目シベリア鉄道オケアン号<その1>(2019年8月5日~6日) 

   中央市場の電停から、市電に少し乗って、ハバロフスクに到着。18時か19時頃、まだ明るいです。荷物預かり所で荷物をもらいます。近郊区間の地下待合室は軍人らしき若い男の子がいっぱいいました。

 

 駅をウロウロしたりします。2階は待合室になっています。27年前と同じ建物のようですが、27年前の私は真冬でこれから大丈夫かなあ、と思って、この待合室で待っていたのだろうと思います。今度も大丈夫かなあ、とは思っているのですが、違うのは夏なのと、もうひとつは、27年前、北朝鮮の若い男子2人組がいて、北朝鮮の人間を見るのは初めてだったので、声をかけたかったのですが、結局かける勇気がなかったです。彼らはエリートだったのでしょうが、あれからどうなったのでしょうか?今度は、大きなリュックを持った韓国人がいます。同じ待合室だったのだろうと思うのですが、こんなところが違います。

 

 ジュースを自販機で購入。60ルーブルчерешня aqua mineraleというものだったようです。今、調べたらサクランボ味だったようです。「チェレシャナ」とでも読むのでしょうか?

 1番線ホームに出て待ちます。もしかして水がないかも、と思い、売店に戻って50ルーブルを買います。「ネ ガス?」と聞かれます。炭酸入りのではないやつか?という意味でしょう。

 

 ハバロフスク始発のオケアン号(オーシャンの意味らしい)6列車に乗ります。この列車はハバロフスク発で安心です。30分前に入線するとのことでしたが、40分以上前にディーゼル機関車に牽かれ入線。電気機関車に付け替えていました。各車両の入口に車掌が立ちます。私の乗る9号車タトゥーのあるおばさん車掌。おやおやと思います。発券してもらった搭乗券みたいな切符と日本で印刷した紙を両方見せます。この車掌、英語が通じるようです。プラットフォームが低いですから、4段ほど客車の階段を昇ります。また韓国人多し。私は9号車21番の寝台。

 これを予約するとき、ロシア鉄道の英語サイトで寝台の指定が出来るようになっていました。値段は8000円ほどでした。はじめ2人部屋の1等に乗ろうとしたのですが、この列車は1等に一人で乗る場合、2人分料金を払って一部屋占有しないといけないようでした。やむを得ず2等の4人コンパ-トメントにします。下段にしましたが、どちらが進行方向なのかわかりません。2分の1の確率だ、と思ってとった寝台でしたが、行ってみると進行方向逆向きでがっかり。指定した時点ではコンパートメントには私だけでした。

 

 27年前はロシア人の男性と数日1等で一緒に過ごしたのでした。30代と思われる優しい人で車中で一緒に行動していました。ですからいい人に当たればよいがなあ、と思います。

 

 乗ると冷房が効いておらず、暑い。他の客は通路の上窓を開けています。こちらもコンパ-トメントの窓を開けようとしますが、開きません。他にもどうやって寝台をセットするのかとか、いろいろわかりません。座席をあげたら下りなくなりますし、何とか戻りましたが、力ずくでは壊してしまうし、こういうものはいつも困ります。どうしたものかと思っているうち、20:45発車。コンパートメントには結局1人でした。あれこれいじっているうち、寝台のセットの仕方もわかりました。脇の装置を使うのですね。

 車掌が回って窓を閉めさせています。発車すると冷房が入り、助かりました。車掌は私のコンパ-トメントにも来たのですが、このコンパートメントは一人きりなので、反対側の進行方向の席に座っていると、ダメ、というそぶりをしてここは何番、だからあなたはここ、という風に指示します。どうも途中から誰か乗ってくるようでした。こっちは「ディナー」を予約しており、食堂車のことなのかここで食べるのかわからず、それを聞きたかったのですが。そっちの方に話が行きません。ようやく紙を見せて、向こうも了解したようです。

 

 発車と同時に暗くなり、暗いからいいや、と本来の席に座ります。すると「ディナー」を持ってきました。発泡スチロールの容器に入ったマッシュポテトのようなものがずいぶん多く、あとは野菜をゆでたものが半分。かすかに酸っぱかったような。あとはパンとマドレーヌのような菓子です。確か300ルーブルで、もともとたいしたものではないだろうなとは思っていました。もちろん食堂車に行きたかったのですが、予約のとき要領を得ず、プリントアウトしたら、これとおまけに保険までついていました。外国の英語サイトではなかなかうまくいきません。まあ、乗れただけでもよしとしなければなりませんね。さっさと食べて、せっかくですから食堂車にも行きます。