写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

66  美輪明宏「老女優は去りゆく」

 美輪明宏さんが亡くなりましたね。91歳だったとか。先日の菅原洋一氏に続く大往生ですが、この人はちょっと余人に代えがたいところがあり、亡くなっても何もおかしくない年齢であるにもかかわらず、驚きは大きかったですね。100歳ぐらいまで生きるのではないかと思っていました。

 

 「シスターボーイ」と言われた頃から、日本のゲイカルチャーを先導してきた人物であり、この人とカルーセル麻紀氏がいたからこそ、日本でゲイ・トランスジェンダーが広く知られることになったのだと思います。

 

 この界隈の人には大きな影響を受けた、あるいは感謝している人も多いでしょう。

 

 昔、昭和の頃は「色物」とされてNHKなどには出してもらえなかったのでしょうが、晩年はLGBTへの評価も大きく変化し、紅白にも出て大きな話題になっていましたね。

 

 個人的な思い出としては、もう30年ぐらい前だと思いますが、私が千歳に住んでいたとき、職場の人に誘われて、この人の講演会を見に行ったことがあります。講演会の内容は覚えていませんが、最後に「おぼろ月夜」が何かの唱歌を歌ってくれたことが印象に残っています。やはりもっと本格的に歌を聴きたかったですね。

 

 この人の歌と言えば、これも30年以上前だと思いますが、NHKのテレビで「老女優は去りゆく」という歌を聴いたとき、大きな衝撃を受けました。

 

 セリフ入り、語り物の歌芸としては、和物の三波春夫「俵星玄蕃」とならぶ洋物(シャンソン系でしょうが)の最高峰の芸だと思いました。

 

 舞台女優の一生を、語りを織り交ぜて、演劇のように歌っていく。聞き終わったあとに映画や舞台を1本見終わったくらいの感慨がありました。私の表現力では筆舌に尽くしがたいですが、至芸としか言いようがないものでした。

 

 ただ、NHKで最初に見たときは最後に老女優がヨタヨタと舞台袖に消えてゆく、というものでしたが、youtubeで見るといくつかのヴァージョンがあって、消えようとして、あるいは一度消えた直後に舞台に戻って喝采を浴びる、というパターンもあります。私としては消え去りパターンを最初に見たので、こちらの方がいいように感じ、戻ってくるパターンには違和感、というか、余計に思えました。でも、何度も見るとこれはこれでいいのかも、とは思ったのですが。

 

 このように、この人の芸は鬼気迫る強烈さがありますが、ただ、ちょっと「過剰」という言葉が頭をちらつくことがあります。先ほどの「老女優は去りゆく」の舞台に戻ってくるパターンもそうですし、何よりも紅白歌合戦に2012年に初出場して「ヨイトマケの唄」を歌って話題になったのはいいとしても、その後4回も出て同じような演出で歌ったのは興ざめだったというか、「過剰」だったのではないかと思います。

 

 まあしかし、この「過剰さ」が美輪さんの一つの魅力となっていた、ともいえそうです。あの時代に男が女の道を歩み、石を投げつけられるような目にも遭ったそうですから、それを跳ね返す、過剰なくらいのエネルギーがこの人の生き方には必要だったのでしょう。

 

 リンク切れになりがちなので、最近は歌の記事にも動画リンクを張らなくなっていたのですが、この歌の場合は先々リンク切れになるおそれがあっても、貼っておいた方がいいでしょうね。消さないでほしいですが。

 

 ご冥福をお祈りします。www.youtube.com

 

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65  「CUTIE STREET」と「CANDY TUNE」と「FRUITS ZIPPER」の区別がつきますか?

   私は若いときの歌や、それ以前のいわゆる「なつメロ」、あるいは日本人としては80年代ぐらいの韓国歌謡に詳しい方だと思いますが、しかし、1990年代、就職してからはだんだんと歌には疎くなって、今は新しい歌は全然知らない、という状況です。

 

 年に1回、昔からの習慣で「レコード大賞」と「紅白歌合戦」だけはテレビで見ますが、それ以外ではテレビそのものをほとんど見ませんので、そこから流れてくる歌を聴くことはありません。youtubeはよく見ていますが、ここにおすすめとして表示される歌は、私の好みを反映して、古い曲ばかりですね。

 

 ところがです。ふとしたことで、「CUTIE STREET」と、「FRUITS ZIPPER」と、「CANDY TUNE」の区別が気になりだしたのですね。昨年のレコ大や紅白で見たときにはそうではなかったのですが、最近になって、どうも気になりだしてしまったのです。

 

 ただ、区別がつかないのももっともで、それぞれ色違いのドレスの衣装を着ている同じような人数の女子アイドルグループです。どうも似ているな、と思ったら、3つとも「KAWAII LAB.(カワイイラボ)」という同一プロジェクトの出身なのですね。

 

 で、この3組の代表曲なのですが、それを覚えるのに一苦労。それぞれの代表曲が「かわいいだけじゃだめですか?」「わたしの一番かわいいところ」「倍倍FIGHT!」だというのですが、どれがどのグループの曲なのだか、区別がつかないのです。私は記憶力はよかった方だと思っていたのですが、年を取るとダメですね。

 

 この記事を書こうと思ったきっかけは、この3組の代表曲を区別するためのメモにしておこうという魂胆だったのです。

 

 「かわいいだけじゃだめですか?」が「CUTIE STREET」、この歌そのものは某所で若い人がよく歌っていたので知っていたのですが、このグループの曲であるというのは昨年末に知った次第です。

 

 何度もそのフレーズを聞いたので覚えていたのと、実はこのグループとちょっとした縁があることがわかったことが興味を持つきっかけでした。

 

 「倍倍FIGHT!」が「CANDY TUNE」、そして「わたしの一番かわいいところ」が「FRUITS ZIPPER」だということだそうです。特にこの2つを混同してしまうのですね。

 

 まあ一種の頭の体操、ということで覚えておこうと思います。まだ写真を見て区別のつくところまでには至っていませんが。

 

 

64  菅原洋一氏とディナーショー

   しばらく前に菅原洋一さんが亡くなりましたね。92歳だったとか。たまにネット記事で、90歳を過ぎても歌っている、というニュースを見かけることがあり、元気なんだなあ、と思っていましたが、ついに力尽きてしまったのでしょうか?ですが、90歳過ぎまで現役で92歳まで生きたのだから、大往生ですね。

 

 最近、この訃報関連でしょうが、かなり以前に書いた、この人の歌「1990年」に関する記事が多少アクセスされているようで、「注目記事」にランクインしていました。

 

 菅原氏について自分の思うこと、知っていることはこの「1990年」の記事に書いてしまったので、それ以上付け加えることもさほどないのですが、この人、一時「ディナーショーの帝王」と呼ばれていた時期があったように思います。

 

 私はコンサートにすら行きませんし、まして高額なディナーショーなどというものに行ったことはありません。一人で行ったところでいたたまれないでしょうから、行こうなどすら全く思ったことはありませんが、年末になると、クリスマスディナーショーというのがありますね。

 

 このディナーショーの元祖というわけではないそうなのですが、ディナーショーの隆盛の礎を築いたのが菅原氏だという話を聞いた覚えがあります。

 

 調べた限りではこのような記述がネット上で見いだせませんでしたので、昔、テレビか何かで見たのだと思いますが、もしそうだとしたら、ベテラン歌手の稼ぎ口であるディナーショーの先駆者として多大な貢献をしたことになりますね。この人に感謝している歌手も多いのではないでしょうか。

 

 お悔やみ申し上げます。

63  チャッピーに曲当てクイズ

 チャットGPTでの「小説」作りにハマっている、ということを書いている日々ですが、先日のコメントで毎度おなじみ「ナツネコ」さんが、チャットGPTについての私の記事へのコメントで、「鼻歌」ということを書いていらっしゃたので、ふと、チャットGPT(面倒くさいので以後チャッピー)に音声入力で歌を歌ったら答えられるのか、という「曲当てクイズ」を試してみました。

 

 とりあえず6問分、試しに歌を歌ってみます。

 

 1曲目 渡辺はま子の「蘇州夜曲」を歌ってみました。いきなり戦前の歌で、マニアック。結果、はじめ一部分だけ歌って回答させると「君がいるだけで」と回答。いきなり「違うじゃん」ということになります。その続きを歌うと今度は「さくら(独唱)」という答え。これまた「違うよ」と言ってしまいます。

 

 それで、今度は全曲歌ってみるとウェブ検索を始めて、これは正解でした。「代表的に歌った歌手には 山口淑子李香蘭)/渡辺はま子霧島昇 などがあります(作詞:西條八十、作曲:服部良一)」と出てきます。これは間違いではないですね。ただ、いきなり苦戦ですね。古い歌はわからないのかなあ、と思いました。

 

 2曲目 いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ。また古い歌ですが、私がなつメロ志向で新しい歌をあまり知らないので仕方ありません。で、これは歌詞にいきなり「街の灯りがとてもきれいねヨコハマ ブルーライトヨコハマ」と出てくるせいか、一発で正解。ただし、説明を始めたのが余計で、この歌1968年か69年の歌なのに、1970年代にリリース、という間違った説明を加えていました。やっぱりチャッピーは歴史に弱いのかな、という印象。

 

 3曲目 ちあきなおみの「喝采を歌ってみたところ、これは正解

 

 4曲目  左卜全とひまわりキティーズの「老人と子供のポルカを歌ってみたところ、これも正解。ただ、ここまで書いてきて「この人の選曲センスなんなんだ」と思われてしまうだろうなあ、と思ってしまいます。こっちの方が小っ恥ずかしいかも。「歌詞は著作権の関係で表示できません」とのことでした。

 

 5曲目 しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」。この曲、このブログでもかなり以前に記事にしたのですが、どうかなあ、と思います。まず最初は特定できませんでした。歌詞も最後の「マイ ラグジュアリー ラグジュアリー イン ザ ナイト」の文を「私のラブジュアル ラブジュアル 夜の中」と妙に中途半端な翻訳で表示します。

 

 で、追加情報を求めてきたので「1977年の紅白歌合戦で歌われた曲」と入力したら、ようやく「マイ ラグジュアリー ナイト」という答えが出てきました。ただし歌手名が「しばたはつみ」ではなく、作曲者の「来生たかお」で表示されてしまいました。

 

 6曲目 では外国曲ではどうか、と思い韓国のチュ・ヒョンミが歌っていた「雨降る永東橋」(비 내리는 영동교`)を歌って見たところ、全くのお手上げでした。厳しいかな、と思って「韓国の歌です」とあらかじめ情報を入れておいたのですが、歌詞も表示されませんし、追加情報をを求めてくるだけでした。私の韓国語も下手でしょうし、韓国語の認識もできないのかもしれません。あるいは韓国語の聞き取り機能があるのかもしれませんが、そこまで調べませんでした。

 

 ということで、結構苦戦していますね。6曲中完全正解は3問。「蘇州夜曲」は苦戦したし、「ブルーライトヨコハマ」は曲と歌手は正しいけど、年代が違っていました。歌についてはまだまだ、というところでしょうか?

 

 またネタ切れの時などに、この手の記事を掲載してもいいかな、と思いましたが、私のビミョーな選曲センスが小っ恥ずかしいですね。まあ実験なので、意図的にこういう曲を選曲したという部分もあるので、ご容赦ください。

 

 

 

 

 

62  橋幸夫さんが亡くなりましたね…

  橋幸夫さん亡くなりましたね。ここ数年、引退宣言したり撤回したり、調子がよくないような報道もありましたので、特段驚いたわけではありませんが、ああそうかあ、という感慨はありますね。時の流れとともにいろんな人が亡くなっていきます。

 

 この人の全盛期は1960年代ですから、私はその頃を知りません。ですが、70年代になってもまだそこそこ人気歌手で、よくテレビで見ていました。歌の方は「潮来笠」や高度成長期を象徴するような吉永小百合さんとのデュエット「いつでも夢を」あたりは生まれる前の曲なのにいつの間にか耳になじんでいましたし、後期の「雨の中の二人」とかはロマンチックで1960年代後半、というか、昭和40年代初頭の雰囲気をよく表している曲だと思います。

 

 「いつでも夢を」を作曲した吉田正が没後に国民栄誉賞をもらいましたが、それなら橋幸夫氏と吉永小百合さんも国民栄誉賞をもらってもよさそうです。

 

 ですが歌手の受賞者美空ひばりさんと藤山一郎だけで、その後もらえそうだった三波春夫氏がなぜかもらえなかったせいか、その後歌手でもらえた人はいませんね。作曲家はもらえているのですが、作詞家でもらえた人もいません。これも不思議ですが、本題から外れますのでこのぐらいにしておきましょう。

 

 それより何より、私にとっての思い出は、多分昭和50年、1975年に大阪の新歌舞伎座で「橋幸夫公演」を見たことですね。私は自分でお金を払ってまでコンサートの類に行ったりしませんから、今に至るまで生で見た唯一の劇場公演なのです。小学校低学年の頃に、多分親が何らかの形で入手した切符で金沢から大阪に行ったついでに見てきたのでしょう。

 

 演歌歌手がよくやる一ヶ月公演の類だったのでしょうが、確か前半は、「遠山の金さん」の劇で、後半はヒットパレードだったように思います。橋幸夫氏の歌より、多分劇中の女性が♪花・花・花…とかいう歌を歌ったメロディーをかすかに覚えているだけですが。子供のことですから、生で橋幸夫を見た、ということだけはしっかり覚えているものの、途中で少し寝てしまったような記憶もあります。

 

 あと、訃報を見て初めて知ったのですが、公演といえば、この人、金沢の観光会館で行われた公演中にサーベルで襲われて怪我をしたことがあったそうです。子供の頃、この観光会館が近所だったのであそこでそういうことがあったのか、という妙な感慨もありました。

 

 とにかく、ご冥福をお祈りします。