写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

17 東海駅の男子職員(2001年1月6日)

 翌朝、1月6日は土曜日。今日は当初、朝7:18発の統一号で嶺東線の終点江陵に行き、そこで少し見物でもして、12:30発釜山行きムグンファ号で慶州か釜山まで行って泊まるつもりでした。さっそく朝、東海駅のインフォメーションに行ってこの2つの列車の切符を買おうとしましたが、ここでは売れないとのことで、普通の切符売り場に回されました。ところが、そこの若い女子職員は切符を売ってくれないのです。

 

 彼女がなんだかかんだかいうのですが、意味が分かりません。困ってしまいました。他の客には統一号の切符らしき硬券を発行しています。

 

 一つ考えられたのは、昨年末にこれまで普通列車だった「ピトゥルギ(鳩)」号が廃止になり、これまで準急扱いだった統一号が事実上普通列車になってしまったため、それに伴いこれまでの全席指定制度が廃止になったのか、ということです。でもそれなら他の客と同様硬券を発行してくれればいいことです。

 

 客がとぎれたところで、再度彼女と談判に及びました。ところがやはり言っていることがわかりません。かすかにわかったのは、「土・日曜・公休日」ということです。つまり、今日は土曜日でどの列車も満席ということが言いたかったようです。行きたければ立席で行って席が空いていたら座ればいい、といいたいらしいと解釈しました。しかし、江陵から釜山まで8時間以上かかりますし、釜山行きは一本だけなので、これでは困ります。

 

 今度はソウルの清涼里(東京の上野駅に当たる)行きを所望しましたが、また売ってくれません。コンピューターの画面を見せてくれたのですが、18席残っているようです。ところがなぜか売ろうとしないのです。この18という数字は空席のことではないのかなあ、と思いましたが、違うかも知れず、それでも納得が行かないので、わざとすごーく困った顔をして駅にたたずんでいました。

 

 しばらくして、後ろから物珍しそうにやりとりを眺めていた若い男性職員が手招きをして、私をインフォメーションに呼び寄せます。冬の朝の田舎町で、私のような人間がいるのが物珍しかったのでしょう。ありったけの日本語パンフレットをくれます。

 

 それから質問責め。インフォメーションの若い女性職員と一緒になって、どこを見てきたのか、いつから来たのか、とか、年は、とか、どこから来たのか、とか仕事は(なぜか学生と思われた)、とか、東海市の印象は?とか、(時間がないので何も見なかった、といわざるを得なかった)こういうたぐいの質問は意味が分かるので答えますが、肝心の切符のことがわからなかったので、かえってこういうしょうもない質問の受け答えだけができる自分が情けなくなってきます。

 

 話の中で、なぜ釜山に行くのに清涼里行きの切符をほしがったのか、という話になり、嶺東線の釜山行きが満席だったので京釜線で行くつもりになった、というようなことを言ったら、その男子職員は、ちょっと待ってて、という感じで切符売り場に行き、清涼里行きムグンファ号の指定券を持ってきてくれました。仲良くなったので融通を利かせたのか、それとも私の意図をやっと理解してくれたからかわかりませんが、とにかくやっとこれで帰れます。こちらも機嫌が良くなってますます日韓友好ムード。またいろいろ話をしていました。

 

 韓国に行くと時々あるのですが、韓国語で意味の分からない話になると、若い男の人は英語で話しかけようとします。この男の子も、私が質問の意味が理解できないとき、英語に切り替えるのです。ですが私は日本語でない限り英語でも韓国語でもどっちみち困りますから、かえって英語も分からないことがばれ、恥をかきます。それから途中、待合室にいたおじさんが話に割り込んできましたが、おじさんの言っていることは皆目分かりません。困ったときの曖昧なほほえみを返しておくしかないのですが、これもきまりが悪いものです。

 

 しばらくして男子職員も仕事の時間になったのか、戻っていきました。さわやかで感じのいい人でした。今回は汽車ばかり乗っていて、しかもソウルのメル友は行き違いで会えませんでしたから、韓国語の練習にならないなあ、と思っていましたが、この旅行で唯一の長話になりました。

 

 帰ってきてからメールでも送ろうかと思って東海駅のホームページがないか探しましたが、他の駅はあるのに、残念ながらありませんでした。次回は帰りの話です。