写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

22 釜山8日午後 西面に行く(2001年1月8日)

 では旅行記の続き。天候不順の釜山、1月8日の午後の話です。

 

 しばらく昼寝して、午後は昨日行った副都心の西面に行くことにしました。なぜか中心部の地下街に本屋が一軒もなく、旅館のおばさんに聞いたのですが、日本語が話せないおばさんに代わっていて、一軒教えてもらったのですが、おばさんもうろ覚えではっきりわからず、違うところへ行ってみようと思ったのです。

 

 地下鉄に乗って西面へ。ここは小汚い中心部と違って小ぎれいでなんか安心します。その分エキゾチックさはありませんが、行き交う人たちも中心部とはなんか人種が違う気がします。店の人も革ジャンのおっちゃんではなくてきちんとした格好をした若い店員さんです。地下街も日本ほどではありませんが、薄暗い中心部地下街と違って、多少あか抜けています。

 

 韓国という国は世界一ジェネレーションギャップの激しい国といわれますが、中心部は古い韓国を象徴していて、西面は新しい韓国を象徴している、そんな気さえしました。

 

 さっそく地図に書いてあった本屋に行きます。3階か4階建てでした。いろいろ見て回って、迷ったのですが、結局辞書と何を思ったか日本旅行のガイドブックを買いました。「地球の歩き方」の韓国版(日本編はどうしてつくったのでしょう?)と韓国独自の編集のものがあったのですが、後者の方が多少安いので、そっちを買いました。店の人はまた本にハンコを押します。おまけにCDショップにあるような万引き防止装置(精算してない商品を持って通るとブザーが鳴るやつ)までついています。よほど万引きが多いのでしょうか?

 

 ガイドブックは後で見ると間違いだらけで、これでガイドブックの役目を果たすのか、と思うシロモノでした。たとえば、北海道のところでは、札沼線旭川まで通じていて、函館線は旭川に通じていませんし、「寝台特急北斗星」として「スーパー北斗」の写真を載せている始末。全編間違いだらけです。あまりのお粗末さに赤で訂正を入れて出版社に送ってやろうかとさえ思いました。  

 

 その後ロッテ百貨店へ。地下をウロウロしていると、日本並みのきれいな韓国料理店街がありました。韓国でまだ冷麺を食べたことがなかったので、その中の冷麺の店に入ります。日本語メニューもあり、水冷麺という辛くない冷麺を頼みました。これが大当たり。今までもおいしいおいしいといってきましたが、それに比べても美味。それに韓国料理店につきものの余計な付け合わせのキムチやナムルなどがなく、かえっていいです。たしか4500ウォンぐらいだった気がします。多分韓国の冷麺の相場より高いと思いますが、日本人からすれば安いし、一般の日本人が行くならここがおすすめでしょう。副都心なのであまり日本人観光客が来るとも思えないのですが。

 

 地下鉄で帰り、文房具屋ノートを買って新聞を訳したり、洗濯物を取りに行ったりして過ごしました。コーヒー牛乳好きの私はコンビニに行くたび、やたらとコーヒー牛乳ばっかり買います。この店のコーヒー牛乳、ほとんど私が買い占めてしまったのではないでしょうか?はじめて行ったときは「またどうぞ」といわれて、「もう来ることもないだろうな」と思っていたのに。あとかっぱえびせん(韓国ではライセンス生産「セウカン」という名で売られています)も買いました。韓国らしく、辛いやつもありました。普通のにしましたが、案外日本でも売れるかも、と思いました。

 

 夜は旅館の近くの大衆食堂でカルグクスという麺を食べました。店のおばさんははじめ何を注文したのかわからず、韓国語で「発音悪いですか」というと、日本人だとわかったのか、好意的に応対してくれました。

 

 大衆食堂ですから、冷凍の麺をゆでてつくっていましたが、港町らしく貝や海産物がいっぱい入っていて、これは感心しました。ただ、付け合わせででてくるキムチはいまいち。どうも釜山のキムチはまずいです。ソウルではみな美味だったのに。南の方なのでソウルより酸っぱくなるのが早いのか、あるいは釜山では大衆食堂に入ることが多かったせいか、真相不明です。

 

 その後は軍隊バラエティ(「テレビ内務班・申告します」というなんだかなあ、な題名でした)や、ナツメロ番組「歌謡舞台」の日だったので、これらのテレビ番組を見ました。朝は大して見るものもなく、仕方なく米軍放送のアメリカンフットボールの中継を見ていましたが、アメリカンフットボールなるもの、ルールもわからず、まして英語の中継なのでちんぷんかんぷんでした。