写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

06 大阪城&梅田をウロウロ(2001年8月10日)

 身延線の話になる前にちょっと大阪の話を。 祖父の葬儀自体は書いても仕方ないですし、記録にも残していないので、省略します。

 

 8・9日と通夜・告別式といって、8月10日です。この日は金曜日。このまま甲府にいくと、その日はいいのですが、その後土日となりますので、旅行貯金には都合が悪いです。ということで土日は岡山の実家に行くことにしました。夏は行かず、冬に行くつもりだったのですが、仕方ありません。大阪か奈良のホテルに泊まって冬にやる予定だったお寺めぐりでもしようかと思いましたが、暑いのでやめました。

 

 それでも一日ぐらい、と思って大阪見物。大阪に住んだことがありながら大阪城に行ったことがなかったので行ってみました。桜ノ宮から環状線で大阪城公園へ。結構歩いて大阪城へ。行ってみるとまた台湾・韓国人観光客の多いこと。建物は再建なので、知ってはいましたが、大したことはありませんでした。実は中学の修学旅行で行ったのですが、なぜか中に入らなかったのです。

 

 外の茶店抹茶ソフトをなめたあと歩いていくと、案内板のところで韓国人がごちゃごちゃ言っています。するとボランティアのおじさんがやってきて案内しようとしましたが、言葉がわからず無視されてしまいました。今度は私に近づいてきたのでせっかくなので一番近い地下鉄の駅を聞くとやたら長々と説明してくれました。

 

 このおじさん、老人というわけでもないし、ボランティアらしいのですが、平日の昼間に観光案内なんかして、何をして飯を食っているのだろうと思いました。

 

 指示通り谷町4丁目から地下鉄に乗り、東梅田へ。ここで地下街をうろつきます。私は梅田地下街よりも、日本では一番面白いと思う大阪駅前第1ビル~第4ビルの地下街が好きです。ここはバブル期でも閉まっている店やあやしい店が多かったのです。

 

 もっとも、私が大阪にいたとき、ときどきここのレストランの中から選んで行っていたせいかもしれません。以前から目を付けていながら行く機会のなかった名店の支店に行こうと思いましたが、お盆休み。仕方なくいつも行列の出来ているうどん屋に行ったらやっぱり行列。結局別の地下街の不二家でランチを食べました。

 

 その後梅田近辺をウロウロし、もう行くこともないだろうからと、祖父の家の近くの郵便局で記念(?)貯金をしようと思いましたが、大阪の下町は迷路です。祖父の家自体、もう何十回も行っているのに最近まで迷わず行けたことがない、という状態でしたので、郵便局を探すのも一苦労。途中で大雨になりあきらめかけたところでようやく発見。局員が若い男のせいかハンコは文句なしでした。

 

 京阪線の駅に戻って電車に乗ると、雨はもうやんでいました。以前横浜でもこんなことがありましたが、最近夏場の午後3時頃に突然豪雨になってすぐやむ、というスコールのような雨がよく降ります。本州全体なのか大都市部だけかわかりませんけど、昔はこんなことなかったと思います。熱帯化したのでしょうか?

 

 京橋駅JR東西線に乗ろうと思い、待っていましたが、豪雨の影響か、止まっていました。それでも30分ぐらいしたら動き出したのでやってきた電車に乗り込みます。地下線なので乗ってみればどうってことありません。尼崎で外に出て、そこで乗り換え。緩行線国電型電車で新大阪へ。

 

 ところが新幹線も一時止まっていたようでダイヤが乱れています。結局40分待って16:41発(だから出発したのは17時20分頃)のひかり383号(500系だった)で岡山。17:28着のところ18:00頃到着。「祭りずし」を買って18:23発の山陽線に乗り込み実家に近い庭瀬駅へ。18:29着。なお、この頃から実家が福岡から岡山に変わりました。

 

 ここは切符を集める箱があるだけで、岡山までの切符しか持っていない私はとまどいましたが、結局精算せずに出てきました。いいのかなあ、と思いましたが、いくら払えばいいのかもわかりませんので、仕方ないです。