写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

05 登呂遺跡(2001年8月8日)

 翌日8月8日は葬儀のため大阪に行かなければいけませんが、その前に通夜まで時間があるので、のん気に静岡見物。静岡といえば「登呂遺跡」でしょう、と思ってここに行くことにしました。三内丸山、吉野ヶ里に続き、遺跡シリーズ第三弾です。とりあえずホテルで朝食を食べましたが、量が案外多く、満腹。

 

 地図では静岡駅の南口からまっすぐなので、南口でバスを探しましたが、それらしきものがありません。仕方なく案内所に行き、聞くと北口から出るとのこと。行くとバスがしばらくないのです。仕方ないので茶店で時間つぶしをして出直します。

 

 行ってみると児童公園の大きなやつに遺跡が復元されているという感じで、これまで行った遺跡とちょっと雰囲気が違います。まず竪穴住居(といってもよそと違って穴はないに等しく、むしろ周りに溝を掘ったか盛り土をした風だった)や高床倉庫を見ます。再発掘作業中らしく、小学生グループが説明を受けています。それから博物館、水田跡を巡りますが、「ふーん」という程度の感想です。 

 

 バス乗り場に行くと、バスが当分ないので、もう一度発掘作業を眺めていると、横からボランティアのおばさんが声をかけてきます。簡単に説明をしてくれます。なぜ来たのか、と聞かれたと思うのですが、「出張で時間が余ったのできました」なんて適当なことを言っておきました。竪穴住居という割に穴がないですねえ、というと「ここは低湿地だから」とのこと。

 

 発掘も戦中戦後のどさくさの時期に行われ、不十分なので再発掘しているとのこと。その結果、竪穴住居はかたちが違っていたかも知れないが、高床倉庫は正しかったらしいです。

 

 ここから出土したという琴の話になったので私が「博物館で見ましたが、あれが何で琴ってわかるんですかねえ」というと、答えに詰まったのか、ゴニョゴニョ言っていましたが、そろそろバス時間なので、お礼を言って帰りました。どうも私は余計なことを言ってしまいます。

 

 帰りに小学生グループも一緒でしたが、この子たちはどうやら佐賀の吉野ヶ里遺跡のある村の地元の子らで「人材育成事業」とかいって遺跡めぐりをしているらしいことが判明。「人材育成事業」なんていう名目は何だかなあ、と思いましたが、引率の小学校教師らしき人たちは大変です。もっとも次にディズニーランドに行くようでした。

 

 変更前の予定では登呂遺跡に早朝に行ってさっさと甲府に向かう予定でしたが、静岡駅に着くともう11時近く。ちょっと日程に無理があったようですが、予定を変更して大阪に行くのですからいいです。「うなぎパイ」を買って、静岡11:04発こだま449号名古屋12:24着。ここのホームできしめんを食べて12:52発ひかり151号で13:47新大阪着。そこから地下鉄御堂筋線鶴見緑地線を乗り継いで葬儀場に向かいます。