写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

27  仕事も家事も?

 以前、「求められすぎ」という記事を書いたことがあります。不評の記事だったのですが、仕事に家事に地域活動、さらにいろんな方面からあれやこれや提言がなされて、参加を促されます。そういうものをまともに受け取っていたらやっていられません。

 

 近頃、フェミニズムの主張が強くなってきました。先日は森元首相がオリンピックの組織委員会の委員長を失言で辞任させられましたね。フェミニズムについては機会を設けて思うところを書いてみたいと思いますが、今回は話が拡散するのでやめておきます。

 

 ただ、男女平等、共同参画、などという議論がされているの中で、とても不思議に思うのは、「男女ともに仕事・家事・育児」という方向の主張ばかりがかまびすしく、なぜか専業主夫」を認めて増やそう、偏見の目で見ないようにしよう、という方向に議論が向かないのか、ということです。

 

 一般に、分業を行った方が効率がいいはずです。また、自分の得意分野に集中できるので、精神衛生にもいいはずです。

 

 私は結婚せずにこの年齢まで来ました。なぜ結婚しなかったのか、という理由はさまざまあり、先日もちょっとそのことに触れましたが、もし結婚するとしたら、おそらく「専業主夫」の道を歩んだのではないかと思います。

 

 「生きづらさ」という言葉が流行し、私もそれを感じています。流行するということは多くの人がそれを感じているからでしょう。

 

 私は出来ることと出来ないことの差が激しく、いわゆる「凸凹人間」です。そう診断されたことはありませんが、発達障害か、そのグレーゾーンと言われる範疇に入るのではないかと思っています。また、かなり内向的な性格です。

 

 ですから職業生活はうまくいかず、かろうじて雇用は維持されていますが、うまくいっていません。家にこもれば解決する、というものでもないのでしょうが、家で家事をやっていれば許される、ということであればそれでもよかったかな、と思います。「ひとり者の食卓」のシリーズで妙な料理を披露していますが、少なくとも料理は苦ではありません。

 

 私のようなタイプの人は、社会生活上においてマルチタスクを要求されるとうまくいきません。仕事も家事もきちんとこなすことが出来ず、不全感に苛まれます。その結果、独身者のままで終わるケースが多いのではないでしょうか?

 

 以前は女性のみ、すべての人ではありませんが、「専業主婦」という生き方が認められていました。特に中・上流階級には「深窓の令嬢」という言葉があり、内向的な女性はそのまま結婚して家族生活の枠のなかで一生を終える人も結構いたのでしょう。

 

 ところがその枠に収まりたくない女性達が枠を壊し、また近年の少子高齢化は女性の労働力化を促してきました。外で働きたい女性が活躍するのは結構ですし、大いに奨励されるべきですが、活動的な女性の声が大きくなる一方で、そうでない女性や男性は声を上げることが出来ず、巻き込まれる形で病んできたのではないかとも思っています。

 

 そして「あれもこれも」求められ、右往左往する、それが今の「生きづらさ」の正体ではないか、と感じるのです。独身者でも仕事も家事もしなければいけませんが、人間関係が下手なので、どうせ両方やらなければいけないのならひとりで、と思ってしまいます。

 

 私は男女ともに仕事も家事も、という「あれもこれも」を拒否した人間ですので、偉そうなことは言えませんが、この件に限らず、一部の人を除いて「あれもこれも」をそれ相応のレベルで求められるのは辛いことだと思います。

 

 むしろ「これをやっていれば許される」という社会のあり方の方が健全だと思うのですが、皆さんはどのように思われますでしょうか?