写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

07  智積院・豊国神社・方広寺(2005年1月6日)

 2005年冬の旅行記つづきです。

 

 1月6日は京都に向かいました。いつもの6:06庭瀬発の電車で姫路7:43着。7:47発の新快速で京都9:21着。一日乗車券を買おうか迷いましたが、飛鳥の方では持て余したので今回は買わないという選択をしました。

 

 今回は東山方面の寺を回るつもりです。本当は泉涌寺に行きたかったのですが、バスがすぐに来なかったので、とりあえず来たバスに乗って東山七条まで行き、智積院に行きました。ここは大きい寺ですが、あまり有名ではないので客はほとんどいませんでした。ここは長谷川等伯一派の智積院襖絵が有名です。収蔵庫にそれがあったので中に入って見ました。襖絵というのは何百年もたつと描かれた当時の美しさは薄れてしまいますね。そのあと庭園も見たはずなのですが、似たような庭園を続けてみたせいか、印象がありません。小雨気味です。

 

 その次に豊国神社を見学します。かなり迷いましたが何とか見つけ出しました。ここは豊臣秀吉をまつった神社ですね。とりあえずお参り。門は立派でしたが、改めてしおりを見直したら国宝だったんですね。しかし江戸時代破却されて明治に復興したと書いてあるのになぜ国宝の門伏見城遺構だという)が残っているのか疑問です。

 

 神社の脇には宝物館がありました。入場料を払っては入ります。古くさくて暗く、展示も無造作な感じです。秀吉がらみの展示物がありましたが、こんな保存状態でいいのかな、と思いました。

 

 次は隣の方広寺。ここは豊臣氏滅亡の際言いがかりにされた「国家安康」「君臣豊楽」の銘の鐘で有名です。鐘楼を遠目で覗いて何とかわかったようかわからないような・・・と思いつつ、寺の方に行きます。

 

 今や小さい寺で受付にいたおばさんが入場料を払うと、もう一組の客とともに案内してくれます。訪れる人が少ないのでしょう。しおりも写真もないあっさりしたもの。中の仏像なども説明してくれましたが、さほど有名なものではないです。方広寺といえば、豊臣秀頼がつくらせた大仏があって、それは江戸時代に壊れた、ということだったのですが、あるガイドブックに「昭和48年火災で焼失」とかいてあり、不思議に思っていたのです。

 

 どうなっているのか疑問でしたが、しおりを読むと、江戸後期の天保期に木造で一度造り直されて、それが昭和48年炎上したそうです。でも再建とはいえ、大仏ですから、昭和になってから失われたと聞くともったいないですね。もう一度つくりなおせないのかな、と思いましたが、この寺の様子では無理そうでした。目玉がなくなったので入場料収入も期待できないでしょうし。

 

 帰りにおばさんが鐘楼の鍵を渡してくれて「中に入って見て下さい」と言ってくれたのでもう一度鐘楼に行き、鍵を開けて「国家安康」の文字をきちんと確認することができました。そういうサービスをしてくれると印象がよくなりますね。