2005年の旅行記続きです。
さて、八坂神社の後は祇園を通って建仁寺へ行きます。ここは臨済宗、京都五山の一つです。後で地図を見たら六波羅蜜寺の後に行けばよかったようなのですが、地図を持たずに当てずっぽうに行ったのでちょっと非効率なことになりました。それはともかく、この建仁寺、一般公開しているのかどうか定かではなく、とりあえず行ってみようということで行ったのですが、一般公開していました。
風神雷神図の模写があって、ああここにあったのか、と思います。法堂に行くとき、いちど外に出るのですが、そのとき内側に暗証番号が書いてあって、一度外に出てそれを押して法堂に向かうという仕掛けがいちばん印象深かった、という程度で、正直なところ、寺そのものはこれ、といって印象に残るものがありませんでした。
法堂には天井画がありましたが、これは2002年だかにできたもののそうで、どうやって描くのだろうと思っていたら、北海道の中札内だかで描いて、それを貼り付けたそうです。これが今目玉になっているようです。あと茶室などもありました。
次に行ったのが青蓮院です。ここは天台宗なんですね。親鸞にもゆかりがあるんですね。その後庭園を見ました。ですがせっかくの庭園も雨ですし、かなり疲れてきました。ここの印象は高台寺とすこしかぶっているところがあります。一通り回ったところで退散といったところでした。
ここを出て次は本能寺に行くことにしました。本能寺の変で有名な寺ですが、当時の建物はもちろん残っていませんし、当時と場所も違っているそうで、観光地という感じでもないようですが、有名ではあるので、どんなところか覗いてみようと思ったわけです。
鴨川を渡り、思ったより時間を要しました。行ってみるとアーケード街の脇にあるビルの中の寺です。特に変哲もない寺で入場料を取って中に入れるわけでもないようです。ただ、信長の墓があったのと、法華宗の本山ということはわかったのは収穫でしょう。
横のビルがこの寺所有で何かの展示をやっているようでしたが、翌7日から開館とのことでこれは残念でした。次回機会があれば見てみることにしましょう。
次にどこに行くか、最初に行きそびれた泉涌寺に行こうかと思い、アーケード街を抜けて京阪の三条駅に向かい、そこから準急電車に乗って東福寺駅で下車。ところが地図を持たずに行ったので方向を間違って歩き、気づいて戻って雨の中きつい坂を上りましたが行ってみるともう閉門。
そのとき3時50分で、道を間違えずに行っても3時30分閉門ならばどっちみち見られなかったわけで、あきらめがつきました。またの機会に、ということになるのでしょうが、こういうしらみつぶし的な寺めぐりをすると印象がだんだん曖昧になってきますし、それでいて訪れるべき寺はまだまだある、ということでどうしたものか、と思ってしまいます。
帰り坂を下りて行くと観光客らしき女性が「泉涌寺へはこの道でいいですか」と聞いてきます。「もう閉まったみたいですよ」と返事したのですが、その人は引き返さずに上り続けて行きました。自分で確認しないと納得できなかったのでしょうね。
泉涌寺道のバス停からバスに乗り京都駅へ行きます。