安倍氏暗殺に関して、いくつも論評を読んだのですが、そのなかに、「安倍には何をいってもいい」という空気がこの事件を生んだのではないか?」という趣旨のものがありました。
私の知人にも「安倍」と呼び捨てにする人がいます。その理由を聞いたことがありますが、あまり納得のいく答えではありませんでした。世間一般的にも、確かに岸田氏や菅氏に比べて、安倍氏に対する悪口雑言は際立っていました。
田舎に住んでいた頃ですから、5年くらい昔ではないかと思うのですが、「アベ政治を許さない」という筆文字で書いたものを見かけたことがありました。この「アベ」とカタカナで書いているのがいかにも安倍氏を小バカにしている感じがして、あまり好感が持てませんでした。
また、左派系の一部文化人が書いている文章がネットにも掲載されているのを何度か読みましたが、あれもこれも「アベ」のせいに話を持って行って、これまた好感の持てるものではありませんでした。
今回の事件が、岸田氏ではなくて安倍氏を狙う結果になったことは、これらのことと全く無関係とはいえないのではないか、という気もしています。
先ほど書いたように、左派の一部の人々の言動が「安倍には何をいってもいい」という空気を生み出したのは否定できないと思いますし、また、NHK党が討論会で安倍氏をちゃかしたようなおふざけをやっていましたが、そうした言動もこのような空気から生まれたのだろうとみています。
殺人者には発想の飛躍がありがちでしょうから、その空気が「何を言ってもいい→何をやってもいい」になってしまったのではないか、宗教に対する恨みが安倍氏への恨みにぶっとんでしまったのはこのあたりにも原因の一端があるのではないか、というように思います。
一般人への発言に節度が求められている時代ですし、芸能人になどに対してもかつてのように「有名税」などといってあれこれいうことはできなくなりつつあるように思います。これからは、政治家個人への発言にも節度が求められ、政策批判と区別することが求められる時代に入りそうな気がしていますが、皆さんはどう思いますか?