安倍氏とその死に関して思ったことを書き連ねているのですが、今日もその続きを書きます。
先日、女子プロレス選手の自殺がきっかけとなった侮辱罪の厳罰化に関連して、「政治家への中傷はどの程度許されるのか?」ということを話題にした記事を読んだ覚えがあります。
政治家というのは神経の太い人ばかりですから、政策批判のレベルを超えて人間性までボロクソに言われることがしばしばあるのですが、それが神経の細い人に「私にはできない」「政治は怖い」と思わせて政治から遠ざけてしまう結果を招いているのではないか、と感じられることがあります。
私は昨日書いたように知人が「安倍」と呼び捨てにするのに違和感を感じていたことは事実です。また、前回書いたように「アベ政治を許さない」のスローガンや、一部の左翼文化人の中傷に近い論考には強い違和感を感じていました。
若い人は、お互い傷つきたくないという感情、あるいはいじめ防止の教育などから、他人が傷つくような言動を慎むようになってきているといいますから、このような左派文化人の中傷に近い、強い物言いがかえって彼らへの嫌悪感を生み出しているのではないか、と思います。左派が支持されなくなっている原因の一端は、このあたりにもあるのではないでしょうか?
さりとて私は安倍政治が好きなわけではなくて、「アベノミクス」による金融緩和にはやむを得ないのかな、と思いつつも疑問を感じていた方ですし、憲法を軽んじているような印象もありました。また、特に教育がらみのことでは、私怨や私益から政策が打ちさだれているのではないか、と感じていましたから、かなり強い批判的な気持ちを持っていたのも事実です。
一方で、それ以外で安倍氏に対してそこまで強い好感や嫌悪感があったわけではなく、「安倍信者」と安倍氏に対する強い嫌悪感を表する人々の双方に対して不思議な感情を持っていました。
安倍氏に対して、一部の人々の間ではある種のカリスマとして持ち上げる感情があったようにも思われることがありました。最長政権を作り上げたうえで、あのような最期を迎えたこともあって、今後もむしろそれが強まるかもしれません。しかし、私にはそのカリスマ性の出どころが不思議でしたし、自分自身が安倍氏にそのような感情を持つことはありませんでした。
北朝鮮の金正日をたたえた「あなたなくして祖国はない」という歌のパロディーと思われる「安倍総理応援歌」というものをyoutubeで見たことがあります。また、山口県の菓子店が一時期「晋ちゃん応援菓」なる菓子を販売していました。
歌の方は、どういう筋が作ったのか私はよく知らないのですが、あのような歌が作られることをみても、他の総理経験者とは違ったある種のカリスマ性と、逆にそれを揶揄したい気持ち、その両方が人々にあったように思うのです。これは日本国内に限らなかったのかもしれません。
このような、人々の氏に対する強い好悪の感情、あるいはほかの歴代首相と比べても激しい毀誉褒貶、安倍信者にしろ、批判者にしろ、どうしてそういう感情をもつのだろう、というのを探りたいという気持ちがありました。
私は一部の人が言うように、安倍氏本人がヒトラーのような民主主義の破壊者には見えませんでしたが、安倍氏を押し立てていた右翼革新的空気の方には懸念を持っています。こちらは安倍氏の死後、どこのだれを押し立てていくのかが気になってはいます。