旅行記だけではネタ切れを起こすので、しばらくブログ関連の話題を書いてきましたが、試行錯誤の一環として、これからは違う話題も書いていきたいと思います。今回は韓国関連の記事です。妙ちくりんかもしれませんけど、読んでやってください。
韓国の「NAVER」というサイトでは、戦前の植民地期から1999年までの新聞を無料で見ることが出来ます。日本の新聞社はこれほど太っ腹なサービスをやっていません。有料版はあるそうですが、値段が結構高いはずです。何種類かの新聞を閲覧することが出来ますが、「東亜日報」がいちばん歴史があり、戦前のものはこれだけです。
基本韓国語ですから、記事はなかなか読みこなせません。しかもコピーや自動翻訳は使えないようになっています。ですが、公開しているだけでもすごいことですから文句は言えません。
年代ごとに眺めていくと、だんだん漢字が使われなくなってくることに気づきます。戦前期のものであれば、漢字がかなり使われていますので、後年のものより読みやすいです。
その中で、いちばん印象に残ったのが、1937年6月3日の新聞。前年のベルリンオリンピックで優勝した孫基禎選手の「日章旗抹消事件」で停刊をくらったあと、復刊出来た日の新聞です。あちこちに「祝続刊」の広告が見られます。近衛内閣組閣の記事が一面トップです。
それより感慨深いのが最終面(左の矢印を追っていってください)の「大学目薬」広告。イメージキャラクターが「半島の舞姫」こと崔承喜です。当時、日本でも相当に人気のあった舞踊家だったということをかねて聞き及んでいました。この人がそうなのか、と思います。朝鮮人のスターということで、朝鮮半島向けの広告に起用されたのでしょう。ところが、ネットで調べてみると、彼女は、戦後北朝鮮に渡り、北朝鮮の舞踊界に貢献したにもかかわらず、1960年代に「粛清」されたということでした。
一方、「大学目薬」は「参天堂」から発売されています。これは現在の参天製薬だろうと思って、参天製薬のサイトを覗いたら、なんと今でも「大学目薬」を売っているのです。
さらにネットで調べてみると、参天製薬は昭和30年代の終わりに「大学目薬シリーズ」を宣伝するために提供した「大学歌合戦」というテレビ番組が「大学生しか出場できない番組」と誤解されたことがきっかけで、商品名を「サンテ」シリーズに変更していったということでした。しかし、かつての看板商品だった「大学目薬」だけは残していたようです。
このときの「大学目薬」は「流線型容器」であることをセールスポイントにしています。鉄道に興味にある方ならご存じでしょうが、このころ、鉄道でも「流線型ブーム」でC55・EF55・電車のモハ52系、さらに満鉄のあじあ号などがつくられました。
「北朝鮮」の女優が、「韓国」の新聞で、「日本」の目薬を宣伝している。そして、その目薬の容器は満鉄「あじあ号」と同じ流線型…。一枚の広告に、歴史が凝縮されているのです。そして、戦後、これらは3つ(あるいは4つ)の国にちりぢりになってしまう…。一枚の広告を前に感慨にふけってしまいました。この広告、日中戦争がはじまる一ヶ月前に咲いた「大日本帝国」の徒花だったのでしょうか?
80数年前の広告に刺激されて、地元のドラッグストアを探したら、「大学目薬」があり、思わず1つ買ってしまいました。この広告、掲載後80数年目にして売り上げに貢献したのです。
参天製薬の目薬は、他にもいっぱいあるのに、今でもあえて「大学目薬」を買う人はどんな人なのでしょう?何十年も愛着を持って使用し続けた人なのか?それとも、私みたいな物好きなのか?それはともかく、とても印象に残る広告でした。