写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

30  朝鮮戦争を考える

   6月25日といえば、朝鮮戦争の開戦日です。1950年の6月25日は日曜日だったそうなのですが、北朝鮮軍が侵攻して始まりました。韓国の過去の新聞はネットで読めるので、28日までの新聞が掲載されていて、韓国が勝っているというウソ報道をやっているのを読んだことがあります。ソウルはその日に陥落して、9月には韓国は滅亡寸前にまで追い込まれましたが、9月15日の米軍の仁川上陸作戦の成功で38度線突破、今度は北朝鮮が滅亡寸前に追い込まれ、中国義勇軍が参戦、翌年春に一時ソウルは再び陥落、ソウルを取り返したところで膠着状態に陥り、1953年に停戦、開戦前とあまり変わらない休戦ラインで現在に至っています。
 
 よく、「ローラー状に朝鮮半島を往復して押しつぶした」などといわれるのですが、ソウルも平壌もそれぞれ両側に占領されていますから、朝鮮半島のかなりの人々は「体制選択」がある程度可能だったとも言えます。韓国とともに南に逃げるか、北朝鮮軍を「解放軍」として歓迎するか、ということが、ある程度までですが、選択できたのではないかと思います。
 
 現在の視点から考えれば、韓国と北朝鮮の政治的自由と経済的発展には歴然たる差がありますから、現在の人々に「韓国と北朝鮮のどちらに行きたいか」と問えば、圧倒的に「韓国」と答える人が多いでしょう。私もそう答えると思います。
 
 ですが、この時代は社会主義に輝きがあった時代でした。朝鮮戦争そのものについても、日本では一時期まで「韓国側から攻撃を仕掛けて撃退され、北朝鮮が解放のために南下した」というのが通説だった時代すらあったのです。そして当時の朝鮮半島の人間で、北朝鮮軍を解放軍として歓迎し、北朝鮮と一緒に北上した人もいたはずです。
 
 そのとき、自分だったら南に逃げる、あるいは韓国側にとどまることが出来たか、ということを時々考えます。社会主義が輝かしかった時代ですからどさくさにまぎれて北へ行ってしまったのではないか、行かなかったり行けなかったりした場合でも、1960年代までは北の方が発展していましたから、北に行かなかったことを後悔しなかっただろうか、なんてことを考えます。
 
 結果的に南にとどまった方が正しかったのでしょうが、軍事政権時代であってもそう考え続けることができただろうか、「韓国にいた方がよかった」と断言できるようになるのは80年代の後半でしょうから、南の韓国にとどまっていたとしても、それまで30数年間、自由主義の価値を信じ続け、かつそれでもどちらがよかったのだろうか、と考え続けなければならなかったわけです。
 
 時代に流されない冷徹な思想というのを維持するのはとても難しいことです。そういうぎりぎりの場合でなくても、自分が何かを選ぶとき、長い目で見て正しい選択が出来る能力を身につけたいものだと常々考えています。