写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

17 4日目午前中 旧泰緬鉄道往路(2020年1月10日)

    7:50トンブリー駅を出発。ごちゃごちゃした町並みを過ぎると、しばらくして郊外風景になります。熱帯の風景で、椰子の木があり、開放的な駅があります。もっとも、近郊駅は近代化工事をしているようでした。駅ごとに王様の肖像画があり、花や供え物が置いてあります。駅前には東南アジア的な古くさいビルもあります。

 

 ですが、全体としては、意外にもたいして面白くありません。椰子の木とバナナ畑はありますが、全体的に単調で大味な車窓風景。早速飽きてきます。窓はガラスが入っていないのがほとんど。私の窓は、上から半分金属製の鎧戸が降りています。まあ半分は景色が見えるのでいいのですが、下手に上に上げようとするとかえって下まで落ちたり、けがをしそうでいじらないことにしました。

 

 いろいろ車内販売がやってきます。一体何なのか、よくわからない品物も多く、手が出ません。そんな中で各種の売り物のなかに果物がありました。黄色い実です。これを皮をむいて切り目を入れ、車内でも食べやすいようにして売っているようです。これなら買っても良さそう、と思い、買ってみます。2つ1セットでビニール袋に入れてあり、竹串がついています。20バーツでした。

 

 食べてみると甘みは薄く、固いです。中心部に芯があります。何という果実なのか帰国してから調べて見ましたが、どうもマンゴーの一種のようです。切れ目にビニールの小袋が入れてあり、中身は赤と白の混ざった粉です。これをかけて食べるようですが、どうも辛そう。

 

 まあそれでも現地人はこれをかけて食べるのだろう、と思ってビニールを破り、ちょっとかけてみます。これがやはりどうも唐辛子砂糖のようでした。塩や他のスパイスも入っていたのかもしれません。とにかく辛くてビミョー。タイ人の果物に唐辛子砂糖をかけるという発想がわかりません。ということで、粉をかけないと未熟なのか固くてさほど甘くないのですが、とりあえず1つ食べきります。2つめはあとにしよう、と思ってしまいます。車販の果物はこれ一択、という感じでした。

 

 冷房はもちろんなく、扇風機が回っていますが、だんだん暑くなってきました。何とかジャンクションという駅(確認したら、ノーンプラドゥクジャンクションという駅でした)で、車両基地青い北斗星塗装のDD51が何台か止まっているのを見かけました。

 

 カンチャナブリーという駅とその次の駅(どうもサバーン・クウェーヤイという駅のよう)で、観光客が大挙して乗ってきます。この先に「戦場にかける橋」として有名なクウェー川(クワイ川)鉄橋があります。

 

 私の幼稚園は「お受験」をして入った幼稚園だったので、かなりレベルの高いことをしており、鼓笛隊をさせられて「クワイ川マーチ」を演奏させられた記憶があります。もっとも私は小太鼓で、金具をつけるのに苦労をした印象しか残っていませんが。そのクワイ川がタイにある川だとはもちろん当時は知りません。その後多分、「鉄道ファン」かなんかの雑誌で知りました。

 

 「戦場にかける橋」という映画は見たことがありませんが、映画のセットはスリランカにつくったそうで、今ある橋は戦後日本が復旧させた橋らしいです。実は下流は昨日行ったメークロンで渡し船に乗った川で、旧名を「メークロン川」と言ったそうですが、「クワイ川」として有名になったので、「クウェー川」と改名されたらしいです。

 

 いよいよそのクワイ川鉄橋です。観光客がいっぱいいて、列車の通っていないときは歩いて渡れるようです。待避所に欧米人や中国人の観光客がいてカメラを向けています。ツアーで来ると橋を渡ったり、記念館に寄ったりするのでしょう。

 

 鉄橋そのものは黒い塗装で、待避所に観光客がいる以外はさほど感銘を受けるような橋ではありません。まあ、昨日のメークロン線に橋が架かっていなかったことを考えると、タイでは鉄橋自体が珍しいのかも、と思います。川岸にはレストハウスやテラスがありました。かなりメジャーな観光地になっているようです。そのあと、「チョンカイの切り通し」というのがあるそうですが、乗っている分には岩肌が見えるだけです。

 

 地図上ではこの辺から奥地に入ってきたのかな、と思われるのですが、まだ平地が広がっています。この辺はサトウキビ畑が目立ちます。あと、牛がよくいます。白いのや茶色いのもいますが、コブ牛です。水田は少なく、たまにあっても、早苗が不均等に植えてあります。

 

 この辺で向かいの席に男子高校生らしき2人組が乗りましたが、やはり私の買った果物を買い、唐辛子砂糖の粉をつけて食べています。やはりこの粉をつけて食べるのが正統なようです。高校生の下車後、残ったもうひとつの果物を私も粉をつけて食べてみますが、やっぱり口に合いません。でももったいないので少しつけて食べます。

 

 ここを過ぎると少し山が見えてきますが、突兀とした、不思議な形をしています。ですがまだ山奥、という感じではありません。土は熱帯性の赤土。もう11時近くで、列車に乗っていても暑くてへたります。

 

 この鉄道は日本軍が作らせたのですが、なんでこんなところまで来たのだろう、こんなところを統治できると思ったのだろうか、と思います。当時の兵隊さんは飛行機ではなく輸送船でこんなところに来て、列車にも乗らず行進したのでしょうから、よくやったな、と思います。えらい人たちは地図だけ見て作戦を決めたのでしょうね。でも80年も前によくこんなところまで来た、と思わざるを得ません。8時間の飛行機でもきつかったのに。

 

 この前後の区間では白くて細長い木のような栽培植物の畑が目立ちました。乾季の乾いた土の畑にひょろひょろの木がたくさん植えられています。あれは何だったのだろう、と思って帰国後検索しましたが、結局現時点ではよくわかっていません。

 

 さて、ここからがもうひとつのハイライト、タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)です。これは、なんと日本が突貫工事でつくったままの、崖に張り付いた桟道橋なのですが、いまだに木製なのです。木の橋の上を列車が走る、なんていうところは、ここぐらいでしょう。それも1両や2両ではなく、ディーゼル機関車に牽かれた9両ぐらいの長編成列車です。

 

 その区間の前になるとまた観光客がいっぱい乗ってきます。中国系多し。その少し前に車掌が私の窓の上半分を覆っている鎧戸を開けてくれましたが、4分の1ぐらいのところで止まり、一番上までは上がりませんでした。これまた危なっかしいです。この前後で車販からソーセージを10バーツで買ったようです。やはりチリソースをかけて渡します。辛いですがおいしかったです。ただ、ソースが手についても洗えないので困りましたが。

 

 桟道にさしかかりました。最徐行で進みますが、スリル満点。もちろん日本軍が作らせたままではないでしょうし、補強されているはずですが、それでも木の橋を上を重量のある列車がそろりそろりと走る訳です。下を見るともちろん木ですが、亀裂が入っているのもあり、怖くなります。

 

 中国系の女性が入ってきて動画を撮っています。他の皆さんも窓から顔や手を出して写真や動画を撮ります。私は撮りませんが、それでも顔を窓から出してしまいます。こういうこと、日本ではしませんが、南国ではついついやってしまうのですね。

 

 対岸はテラスやキャビンがあり、宿泊できるようになっているようです。川の中から噴水が噴き出しています。名所として観光開発されています。動画を撮っている皆さんは、対岸や列車が進む様子を撮っているのですが、ここの価値は木橋である、ということなのに、肝心の下の部分を撮っている人がいません。この桟道の価値がわかっているのかな、と思います。

 

 桟道区間が終わると、皆さん下車します。ですがまた峡谷に沿って走る区間があります。南洋的な峡谷美が展開し、吊り橋があり、対岸の山の上にはお寺の塔らしきものがあります。どうやって作ったんだろう、と思います。木製ではありませんが、コンクリート製の桟道の上を走る区間もありました。景色的にはアルヒル桟道に勝るとも劣らない区間ですが、閑散としています。

 

 長時間乗車したのでトイレに行きます。トイレは垂れ流し式でした。穴が車両の横につながっているようでした。使えなくはないですが、あまりきれいなトイレではありません。

 

 そうこうしているうちに少し風景が開け、終点のナムトクには定時12:35のところ数分遅れて、12:43頃着。往路の段階で結構へたっていますが、すぐ戻ります。