写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

09  南部戦跡めぐり定期観光バス<その1>(2002年1月7日)

 さて、沖縄旅行の続きです。翌日1月7日。ホテルのフロントで地図をもらいました。とりあえずバスターミナルへ向かいます。かなり道に迷いました。確かにこのあたりは旧遊郭らしく料亭なんかがあります。

 

 バスターミナルと言っても要するに営業所でした。ここは那覇交通」というバスです。あと、「沖縄バス」とか「東陽バス」というのもあるようです。那覇交通のバスはボロでした。しかも高い。均一制で200円です。盛岡・富山と並ぶ日本三大ボロバス会社ではないかと思いましたが、どうも塗色が3社とも同じ感じでくすんだ青系です。どうもそういう印象もあるのかも知れません。ボロで高いとなればあんまり印象良くありません。昨日のタクシー以来沖縄に否定的になっています。

 

 そのバスで中央部の久茂地(くもじ)というところまで来ました。モノレールの高架がありますが、まだ未開業です。地理も分からないし、地図と実際の場所が一致しません。いつも駅を基準にして位置感覚をつかむのですが、それができないのでとまどいます。とりあえず当てずっぽうに歩いていると、沖縄バスの定期観光バス乗り場にたどり着きました。

 

 今日は定期観光バスに乗るつもりです。鉄道がないので仕方ありません。申し込みました。南部戦跡めぐりコース、昼食つき4800円。発車まで1時間ほどあるので新聞を読みます。

 

 10時に出発。客9人。男性3人は皆1人。女性6人はいずれも2人組。戦跡めぐりコースだけあって皆まじめでおとなしい感じです。観光バス特有の喧噪を案じていたのですが、そんな心配はなさそうです。まず那覇を出て豊見城村の海軍壕へ。バスに乗ってみると分かりますが那覇の街も隣村もほとんど平地がありません。坂ばかりです。もっとも隣村と言ってもこの村、人口日本一の村だそうで4月に一挙に市になるらしいです。那覇の街と切れ目がないので合併しても良さそうでしたが。

 

 海軍壕に着くと雨です。降水確率10%だったのに。整備されて妙にきれいです。長崎の原爆記念館もそうでしたが、妙に立派なのであんまり悲惨さなどは感じられません。そんな中で妙にリアリティーがあったのが大田海軍司令官の名刺。あ、沖縄戦の激戦のなかで死んだ軍人も名刺もってたんだ、と思うと、生活感を感じ、これが妙に印象深かったです。

 

 だいたい陸軍悪玉、海軍善玉、という評価がありますが、沖縄戦でも大田司令官が「沖縄県民かく戦えり。後世特別のご高配を」という最後の電文のため、海軍の方がやや評判がいい感じです。

 

 その後糸満市を過ぎて、ひめゆりの塔へ。行ってみると横長の碑で塔、という感じではありません。その横に元の塔なのか、縦長の塔がなかば埋もれるようにして建っていました。これが一般にイメージする「ひめゆりの塔」で、なんか変な感じ。

 

 簡単にガイドされて昼食。期待していませんでしたし、実際大したことなかったのですが、ただ、おつゆ代わりの沖縄そばの小椀がしょっぱいながらも妙においしいです。こんなところの沖縄そばでもうまいんだからちゃんとした沖縄そばは結構うまそうだな、と思いました。

 

 急いで食べて残った自由時間で資料館を見ます。ここも妙にきれいで立派。ただ、証言集の展示を読むとなかなか凄まじいものがあります。塔の前にいくつか修学旅行生が持ってきた千羽鶴もありました。 

 

 塔の前が洞窟状になっています。沖縄戦の話を読むと、洞窟に隠れる話がよく出てきますが、これだな、と思います。沖縄戦といえば、無茶苦茶な戦闘で、生き残った人は生命力が強いのか、あるいは運なのか。ちょっとしたことが生死を分けるのでしょうね。もしこういう状況におかれて、私が生き延びられるとはとうてい思えませんが、「死」ということを考えることがあり、死んだ人と生き残った人とどちらが結局幸せなのかな、とか、いろいろ物思いに耽りました。