以前は田舎町に住んでいたのですが、暮らしていく中で、そろそろ「廃村政策」を考えるべき時ではないのか、ということを考えることがありました。そこまでして不便な田舎に住む必要があるのか、ということですね。農村については、農業には土地が必要ですから、ある程度は必要かもしれません。でも漁村はどうでしょうか?どうせ獲った魚は都市の消費者のところへ運ばれていくわけです。となるといくつかの「水産都市」があれば十分ではないでしょうか?
本当にその地域でしかできない産業に携わっている人というのはごく少数で、あとは土木とか、公務員関係、そして観光や商業に携わっている人。土木業をしている人を潤すために公共事業をやり、人口より収容人数の多いホールができた、なんて笑い話もあります。
観光も大した観光資源のない町村では無理矢理「まちおこし」イベントをやっていますが、ああいうのは見るのも痛々しいものがあります。インターネットが普及すれば一時的に郡部生活も便利になりますが、結局、生鮮食料品を扱うスーパーと、コンビニ、食堂以外の地方の商業はインターネットショッピングに押されて衰退してしまうかも知れません。
さらにこういうところでは生産に直接携わらない高齢者も多いです。この人たちが死んでいったらますますさびれて行くでしょう。彼らのためにいろいろな施設が必要となってきますが、結局不十分なものしかできません。
となると、市町村合併と並行して、一定の基準に満たない町村に対しては何らかの廃村政策(例えば村をでていく人に補助金を与えて都市で住宅を持てるようにする)を実施し、合理的な国土計画を実行してはどうかと思います。人がいないところは自然に戻っていくでしょうから、一種の環境保護にもなります。環境を元に戻す公共事業、というのもあってもいいかも知れません。
もちろん、その土地に愛着を持ち、そこで死にたい、と思う人も多いでしょう。でも過去にもダムで沈んだ村、というのもありましたし、北海道の場合、町議や村長のような人でも引退すると札幌で余生を送ったり、「札幌の病院で死去」という記事をよく見かけたりしますから、実際にはそういう死に方すら困難なのかもしれません。定年で田舎に移住するのも静かなブームのようですが、実際に行った人はその土地が気に入った人でも健康を考えると70歳が限界ではないか、と思うそうです。
こういうことを思っている人はいるでしょうが、公的な場所やメディア上でこのような主張をする人をほとんど見たことがありません。やはりいいにくいのでしょうか?でも過疎が叫ばれ続けて数十年、そろそろこういうことを真剣に議論するときではないでしょうか?
故郷である田舎に愛着を持っている方には不快に思う記事だと思いますが、こういう考えもあるのだ、と思ってください。