写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

23  現代は「人新世」なのか?

 昨日は北海道新幹線に批判的なことを書きました。出来てしまえば乗るとは思いますが、果たして必要なのかなあ、と思っています。

 

 さて、新幹線というものは在来線よりも構築物が多く、トンネル・高架の連続です。これは日本の新幹線に限ったことではなく、韓国のKTXや台湾高鉄もそうでした。韓国の場合は在来線が標準軌ですが、台湾の場合は在来線が日本と同じ狭軌なので、構築物は多くなります。

 

 鉄道だけでなく、高速道路はもっとあちこちを削り、高架を造って建設されます。高速道路もつくりすぎではないかと思うのですが、こちらに関しては批判する声を聞くことはあまり多くありません。車社会で、なくてはならないものであると思っている人が多いのでしょう。私が車に乗らないので疑問に思っているだけかもしれません。

 

 さらに空港、地下鉄。地下鉄なんて大都市にあるので廃止になると思っている人はいないのではないか、という気がするのですが、でも人口減少社会ですし、地方分散も叫ばれていますから先々どうなるかわかりません。一般鉄道の廃トンネルを見るたび不気味に思うのですが、地下鉄の廃線なんて考えたらぞっとします。

 

 先日まで、東日本大震災当時、考えていたことを連載しましたが、あのとき被害状況を見て「地形が変わった」と思われた場所がありました。地震があると隆起や沈降があって、その積み重ねで地形が形成される、というのを地理や地学で学びますが、こういうのを繰り返して土地というものは形成されるのだ、というのを実感したものでした。

 

 でもいつの間にか、海になった、と思っていた場所も陸地に戻ってしまったようです。一時的に浸水しただけだったのかも知れませんし、土地を失った人からすればとんでもないことですから、もとに戻すのは人間の観点からは当たり前、しかしながら、自然現象に逆らうようなことをしていいのか、と思っていました。

 

 最近、「人新世」という言葉を知りました。地質年代で「更新世」とか、「完新世」という用語がありますが、1950年代ぐらいから「人新世」になったんだとか。私も漠然と、人間が地形を作る時代になったのではないか、と思っていました。自然地形かと思っていたら人工地形だった、というケースが結構あるものです。

 

 私もコンクリート造りのマンションに住み、コンクリート造りの職場に通っています。また、私は環境問題を声高に叫ぶ人たち対してはやや懐疑的に思っています。それでもなお、最近のコンクリート構築物はつくりすぎではないか、要らなくなったら放置されるのか、地球に傷をつけまくっているのではないか、という疑念が拭えないのです。

 

 昔ながらの在来線の場合は、もし廃線になっても自然に朽ちていく場合が多いのですが、新幹線や高速道路、地下鉄などは遠い将来、廃線になった場合、どうなってしまうのだろう、と思います。ある時期の人類が作った名残りとしてそのまま埋もれ、地質年代に刻まれていくだけなのでしょうか?