写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01  あれから10年~東日本大震災、私の場合

  今日はこのテーマで記事を書く方が多いでしょう。2011年3月11日の東日本大震災からもう10年。10年ひと昔、あれから10年、そんなに前のような気もしないのですが、月日の経つのは早いものですね。しばらく前にもまた福島で震度6の地震が起きました。困ったもんですね。自然現象ですから仕方ないのですが。

 

    あのとき記録していた文章をリライトしてしばらく連載します。当時北海道の田舎町に住んでいました。東北と違って被害はほとんどなかったのですが、それでも数日間不便な思いをしました。東北の方は相当大変だったのでしょうね。

 
 そのとき、私はパソコンで書類を作っていました。すると横揺れでゆーらゆーら、という感じで揺れました。何度か地震の経験はあるのですが、珍しい揺れ方だったと思います。ですから地震ではなく、パソコンのいじりすぎで頭が痛くなったのかと思ったくらいでした。揺れは大きくなかったのですが長かったです。
 
 職場のテレビをつけると大変なことになっていました。仙台郊外が津波で飲み込まれる様子の生中継も見ました。函館も水浸しになっている様子が映されましたので、海辺の町であるここもヤバいのではないか、と思いました。ここは地震より津波が怖いです。私は仙台や函館の映像を見て津波が来ることを覚悟しました。
 
 身の回りの最低限のものだけ、ということで、もう一人の焦っている同僚の車に乗せてもらって、3時半ごろいったん家に帰りました。家は何ともなかったです。財産一式の入ったかばんと自分のパソコンとその他大事にしているものをバッグに詰めて歩いて職場に帰りました。この3つがあれば、たとえ家が浸水しても最低生きていける、と思ったので、これで何かあっても心置きなく、動けるだろうと思いました。
 
 パソコンは重かったのですが、各種必要な情報が全部はいっていますから、今や命から2番目か3番目に大事なものですね。
 
 その後、待機していましたが津波は来ませんでした。7時過ぎに帰ってきました。私と数名の同僚は焦っていましたが、上司をはじめ他の人たちは結構のんきな人もいました。結局ここには津波は来なかったので、皆さんの判断の方が正しかったのです
 
  7時頃まで職場にいたのですが、津波がとりあえずこなさそうなので、歩いて家に帰りました。最低限のものはまとめたといえ、やはり私は家が壊れたり浸水したりしたら、大ショックで、おかしくなるだろうと思います。家に殉じようかとまでも思い詰めました。それと、この家はこの町の平地では一番奥にあるので、仮にこの家が津波の被害にあう場合は町が全滅です。そうなったら自分は生きていてもまともに顔を上げて生きていけないだろうとさえ思いました。大げさですが、そう思ったのです。