昨日から、10年前の東日本大震災のときに記録しておいた文章をリライトして掲載しています。こういう記事はあまり読まれないのですが、連日投稿を維持するため、掲載しておきます。今回のものは当時書いた感想を一部修正しただけのものです。昨日の記事のように、長期戦に備えて、職場から荷物を取りに一時戻って来たのですね。当時この人はこんなことを考えていたのだなあ、と思って読んでくだされば有り難いです。
一度家に帰ったことについては、パソコンや最低限の大事なものを失った場合は私は生きていけない、それなら多少危険でも取りに帰って死んだ方がマシ、と覚悟しました。職場の同僚はほとんど7時頃まで残っていました。
今日(2011年3月12日)は一日テレビを見ていましたが、夕方、買い物に行ってきました。現時点ではカップラーメンやパンが売り切れになっている程度です。スーパーは海に近いのですが、普通に営業していました。このスーパー、田舎町唯一のライフラインですからね。昔、台風かなんかで停電したとき、店員が付き添って伝票を書いて買い物したなあ、ということを思い出しました。
幸いなことに水も電気も大丈夫、まあ米もあるし、暖房やガスも大丈夫です。ですが石油なんかは今後大丈夫なんでしょうかね?節約した方がいいかもです。スーパーに行っただけですのでわかりませんが、テレビでは鉄道も道路も止まっていて、この町は孤立状態のようです。その割には新聞もちゃんときましたけど。
東北経由の物資輸送は当面羽越本線経由になるでしょうが、あちらは単線区間があって厳しいでしょう。奥羽本線は山形新幹線区間があるので貨物輸送には使えないでしょう。あとは船でしょうか。苫小牧や石狩が大丈夫なら問題ないでしょう。函館もありますし。スーパーで好物の菜の花の安売りをしていたので買ったのですが、もしかしたら当分手に入らないかな、とか思ってしまいました。
北海道は食料不足にはならないでしょうが、ちょっとした気の利いたものは手に入りにくくなりかもしれませんね。
私はあのエリアに友人知人はいませんが、岩手出身という知人は数名います。宮古や釜石は鉄道に乗るのに行きましたし、松島も行きました。三陸付近はもちろん、常磐線ですら最悪廃線、ということもあり得る情勢になってきました。
原発の件は大丈夫なんでしょうかね?まあ日本という国のあり方が根本的に問われる事態になるのでしょう。果たして三陸海岸なんてところに人が住む必要があるのか、とかいうレベルから考えないといけないのかもしれません。でも平野部の方が津波って怖いですね。仙台の方のシーンの方がびっくりしました。よく自分が住んでいるところには津波が来なかったものです。
まあ北海道も結構危ないところがあります。そう考えると、札幌、というのはやはりいろんな意味で比較的災害に当たる確率が低いところです。大都市が出来るのはそれなりの理由があるのでしょうね。