写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

34  政治家の「問題発言」を考える

 先日、自民党山谷えり子氏が、自民党内の会議で、自分の性別をどのように認識しているかを意味する「性自認」をめぐり、「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、アメリカなんかでは女子陸上競技に参加してしまってダーッとメダルを取るとか、ばかげたことはいろいろ起きている」と発言した、ということでした。(朝日新聞のネット報道による)

 

 一方、立憲民主党でも、党内の会議で刑法の性犯罪規定の見直しについて議論した際、本多平直氏が「50歳と14歳が同意性交して、捕まるのはおかしい」と発言していたそうです。(こちらは毎日新聞などの報道による)

 

 どちらも「問題発言」として報道されたのですが、どちらの発言に対しても「問題発言なのだろうか?」という気がするのです。

 

 近頃いちばんの社会問題になっているのではないか、ということにジェンダーの問題があります。もうひとつは表現の自由と人権とのかねあい」の問題ですね。

 

 どちらの発言も、「ばかげたこと」という余計な言葉をつけていたり、極端な事例を持ち出してきたりしているのは確かです。また、どういう議論が前後にあり、どういう表情や雰囲気で発言したのかまではわかりません。

 

 また、山谷氏は性や家族に関する問題では保守派の論客であり、本多氏は「ヤジ将軍」なんだそうです。ですから、ことさらそれぞれに批判的な勢力から目をつけられてきたということもあるでしょう。

 

 ですが、党内の会議で議論しているとき、さまざまなケースがあり、そのときどうするのだ、ということを検討しておくのは立法府の一員として悪いことだとは思えないのです。国会の場でこういう発言が出たっていいくらいだと思っています。

 

 それなのに抗議はともかく、議員辞職まで求める向きがあるのは行き過ぎです。両氏とももちろん議員辞職はしませんでしたが、運動家の方々も議論を抑圧するような方向にいって欲しくないと思います。

 

 特定の個人をおとしめたり、傷つけたりするのはよくないことでしょうが、一般論としていろんな、場合によっては極端なケースを想定して議論しておくことはよいと思います。山谷氏の発言したことは事実として今起きていることですし、本多氏の発言のケースもあり得ないことではないかも知れません。

 

 かたやLGBT,かたや小児性愛に関する議論なのですが、よく考えれば、ある意味、どちらも同年代の異性愛がノーマルとすればアブノーマルといえます。どちらも「そうなりたくて生まれてきたわけではない」のでしょうが、前者は人権問題として擁護される趨勢にあり、かたや児童保護の観点から厳罰化が議論されています。

 

 現代の道徳観念や社会通念からすればそれが趨勢なのでしょうが、ちょっと立ち止まって考えることも悪くないと思います。特にトイレ使用や性交の件は処罰の対象になりかねないわけですから、大いに議論し、また、さまざまなケースのあることを想定し、慎重を期してもらいたいと思います。

 

 <追記>本多氏の方は結局議員辞職してしまいましたね。