写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

11  盧泰愚元大統領の死と評価

    昨日は全斗煥氏死去に関する記事を書きましたが、その前に、やはり韓国の盧泰愚元大統領が亡くなりましたね。一応、国葬になったようですが、国内では反対の意見もあったようです。

 

 この人、全斗煥政権の要職を務め、その後全斗煥氏の後継者となり、「6・29民主化宣言」を発して韓国の民主化への道筋をつけた人物です。そして大統領に当選、ソウルオリンピックを成し遂げ、中国・ソ連との国交樹立、いわゆる「北方外交」も成し遂げました。そして経済面でも高度成長を続けたわけで、非常に多くの業績のあった大統領だと思います。

 

 個人的にも軍人出身とはいえ、いかにも軍人らしい気性の強そうな全斗煥氏とは異なり、温厚そうな印象がありました。

 

 ですがどうも韓国内での評価は芳しくないし、日本の韓国政治に関する本を読んでも、さほど高く評価されているわけでもない、という印象です。

 

 それはなぜか、というに、まず、軍人出身で、全斗煥氏とともに粛軍クーデターに参加し、全斗煥軍事政権で重職を務めた、ということがあったのでしょう。民主化勢力からすれば、弾圧した側の人間、という印象が拭えないのでしょう。

 

 次に大統領に当選したと言っても、民主化勢力の金泳三・金大中両氏の分裂によって漁夫の利を得て大統領に当選した、という印象がこれまた強く、進歩派勢力からすれば「大統領になるべきではなかった人物」とみられているのでしょう。

 

 さらに退任後の金泳三政権下で政治資金問題、さらに粛軍クーデター光州事件への関与で裁判にかけられ、有罪判決を受けることになりました。

 

 裁判の是非はよくわからないところがあり、政治資金問題は日本にいる私からはその実相がよく見えませんし、軍事政権樹立に関する動きに対しては、韓国らしい裁判とも言えますが、これまた裁かれることだったのか、という気がします。

 

 私の目から見ると、功績の方が大きかった大統領であり、特に民主化運動に押された形であったとはいえ、民主化宣言(当時日本では「盧泰愚宣言」とよばれていた)を出して韓国の民主化に道を開いた点は大きかったのはないかと思います。

 

 韓国の場合、軍事政権(全斗煥)→民主的に選出された軍人大統領(盧泰愚)→文民大統領(金泳三)→政権交代金大中)→世代交代(盧武鉉)と、民主化のステップを踏んで大統領が交代しており、盧泰愚氏の存在は韓国政治のクッションとなったようにも思うのですが、光州事件の当事者などからすればやはり許せない人なのかも知れませんね。

 

 先ほども書いたように、私としてはもっと韓国政治史に大きな役割を果たした人物としてもっと高く評価されるべき人物だと思うのですが、評価が定まるのにはもっと時間がかかるのかも知れませんね。