このブログで、ときどき韓国歌謡の話を書いています。そういうわけで、韓国歌謡に興味を持っているのですが、その昔、ほぼ唯一の情報源は「ラジオ韓国」の日本語国際放送でした。この、「ラジオ韓国」、今は「KBSワールドラジオ」という名称に変わっています。「KBSワールドラジオ」ではどこの国の放送局なのかわからないのではないか、と思っているのですが、かなり以前からこの名称になっています。
この放送、昔からやっている「玄界灘に立つ虹」という番組が看板番組です。かつては中波や短波放送でさまざまな番組を聴取していたのですが、今、私は北海道在住ですので中波は入感しにくいし、ネット時代でもあり、今はこの「玄界灘に立つ虹」という番組をオンデマンドで聴いているだけになっていました。
ところが、この正月休みに本来月一回やっている「K音楽研究所」という番組のオンデマンドサービスをまとめ聞きしました。普段からこの番組を聴きたかったのですが、月一回の番組でいつも聞き逃し、音楽番組はオンデマンドでは聴取できない、と思い込んでいたので聞くことができないでいました。
ところが、正月に、この番組もオンデマンドで聴取できることに気づきました。音楽は著作権の関係らしく、省略されるものの、なんだ、聞けるじゃないか、と思ったわけです。
聞いてみると、この番組の「研究所長」=申龍(シン・ヨン)氏の話が無茶苦茶興味深いのです。特に、2020年1月放送分からの、日韓音楽交流史についてのシリーズものは私のような者には面白い話ばかりでした。
氏がパティ・キムの家にいた頃のエピソードや、かつて日本の雑誌やレコードの密輸入ルートがあった話、日本文化開放がされた1998年ごろに韓国側の対策委員長となってあれこれ策をめぐらせた話、など、また、このブログでも紹介したパティ・キムの「離別」や菅原洋一の「1990年」、ナミの「悲しい絆」の話も取り上げられていました。
他には少女隊、消防車の「オジャパメン」、BOAなどのエピソードも取り上げられていました。
また、日本の歌が禁止されていた時代に、韓国でいしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」や近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」がなぜかよく知られていた、という話も、どこかで聞いたことがありましたが、改めて知ることができました。後者が知られるようになったのには申氏が一役買っていたそうです。80年にピンクレディーが韓国公演をしていた、というエピソードにはびっくりしました。すごすぎる話ばかりで、ほとんど「秘話」ですね。
この申氏、日韓歌謡史の現場で長く活躍されていた人物なので、相当この手の話にはウンチクがあるようです。せっかくだから日韓エンタメ史に関する著書でも出してくれればいいのに、と思いました。
具体的には放送を聞いてもらった方がいいと思うので、この手の話に興味のある方は是非聞いてみてください。