写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

57  演歌の運命

 紅白歌合戦が終わっても、紅白に関するあれこれの考察がネットニュースでは花盛りです。私が興味を持って見るせいかもしれませんが、あれこれの考察、若者向けにしてある程度成功したのではないかという説、高齢者の離反を招くという説、その他、今回の紅白は成功だったとか失敗だったとか、正反対に近い議論があちこちで展開されています。

 

 ただ、共通しているのは、今回の紅白、演歌を軽視している、という議論です。いいことか悪いことか、という評価では意見は分かれますが、演歌歌手の出演が以前に比べて大幅に減り、しかもその多くが企画ものとのコラボでした。

 

 私は演歌がそう嫌いではありません。でも、演歌はもう寿命が終わっている、というのが私の見立てです。今、演歌に親しんでいた年齢層はおそらく80歳を超えています。70代になると、もう若い頃には「和製ポップス」や「フォーク」が人気を得ていた時代です。

 

 今回の紅白で休業することになった氷川きよしですが、彼が20年ほど前「箱根八里の半次郎」でブレイクしたのは当時すでに「狂い咲き」に近かったのです。その頃同時にヒットしていた演歌が大泉逸郎の「孫」で、演歌は孫を持つ世代、つまり60~70代にしか受け入れられなくなっていました。その頃私は演歌は「死」をテーマにしたヒット曲が生まれて、その後死に絶えると思っていたのですが、「死」をテーマにしたヒット曲としてその後「千の風になって」や「吾亦紅」がありました。しかしこれは演歌とは言いがたい歌でした。

 

 氷川きよしに話を戻すと、2000年頃の演歌の危機、という状況があったように思います。考えてみれば、「一発屋」と言われるヒット曲を持つ歌手を除いて、出す曲出す曲がある程度ヒットする安定した人気を持つ男性演歌歌手は当時すでに30年前にデビューしていた五木ひろし、森進一以来生まれていませんでした

 

 そこで、男性演歌歌手という存在が21世紀に受け入れられるのか、という賭けの対象として選ばれたのが氷川きよしだったのだと思います。私は詳細は知りませんが、相当のプロモーションが行われたのだろうと思いますし、そしてそれは成功し、彼は約30年ぶりに安定した人気を持つ男性演歌歌手となったのです。

 

 氷川きよしに続いて何人かの男性演歌歌手が彼の路線の後追いをしようとしたのですが、彼ほどの成功を収めることはできませんでした。今回紅白に出た男性演歌歌手である山内惠介三山ひろしも、誰でも知っている大ヒットがあるかと言えば、正直そうではないでしょう。実際のところ紅白の「男性演歌歌手」の枠にはめこまれた、という感じです。

 

 そして21世紀(「平成」という時代区分でもいいでしょう)にほぼ唯一成功した男性演歌歌手である氷川きよしの場合は、本人が「演歌」という枠にはめられることが嫌になり、このところの紅白ではロック調の歌を歌っています。

 

 こう考えると、演歌、特に男性演歌歌手の先行きは相当暗いと言わざるを得ません。もはや20年前に演歌は死に絶え、氷川きよしという狂い咲きの歌手の存在で延命してきたのですが、今度は本人がそれを拒否しているようです。

 

 演歌、特に男性演歌歌手はこのまま絶滅していくのでしょうかね?