昨日から、参政党の躍進について、あれこれ考えをめぐらせ、それを記事化していますが、その続きです。
参政党の憲法草案を読んでみましたが、呆れるを通り越して笑ってしまいました。憲法学者の木村草太氏が「怪文書」と評していましたが、普段木村氏の見解にさほど肯定的でない私ですら「怪文書」だと思ってしまう内容です。これは今の憲法どころか、大日本帝国憲法と比較することすらおこがましい、という稚拙な文書の寄せ集めです。
しかし「自己啓発セミナー」的手法に「洗脳」されてしまうようなタイプの人にとってはこれでいいのかもしれません。参政党には「DO IT YOURSELF」というスローガンがありますが、支持者にとっては内容より「素人くさくても自分たちで憲法を書き上げる」という「創憲」の熱意が大切なのでしょう 。しかしこのような憲法案を持つ政党が比例で第二党ないし第三党になるかもしれない、という今の状況には暗然とせざるを得ません。
どれぐらいの人がその手法に染まっていくのか、かつての例を思い起こせば、事実上の宗教政党である公明党が高度成長期の1960年代末に第三党にまで上り詰めた、という実例があります。しかしその後、それ以上には支持が広がりませんでした。この例を鑑みると、将来参政党もそれぐらいになる可能性はあります。そして、参政党がかつての公明党以上に広がっていく可能性があるのかどうかが注目されるわけです。
組織作りも党員集めに重点をおいて地方議員を増やすことに注力しているとも言われています。足腰の強い組織作り、というのはかつての公明党の手法に近いのでは、と思われます。公明党の組織の高齢化、衰退に伴って、かつてなら創価学会・公明党になびいていたようなタイプの人たちが参政党になびいているのでは、という気がします。
ただ、公明党の場合、おそらく池田大作氏の戦中戦後の個人的体験から来た「平和主義」を標榜し、保守と革新の合間で、元々仏教用語である「中道」を標榜していましたから、結果的に日蓮宗系宗派の一部にみられる攻撃性や国家主義は政策に反映されず、組織としては支持できなくても政策的には「中道」という、ある程度の無難な線を保った、とはいえます。けれども参政党の現状はそうではありません。
参政党の胡散臭さの正体は宗教ではないものの、人の心の内面の「意識改革」をもたらす「自己啓発セミナー」の手法に通じるものなのではないか、と考えるのです。この私の考えは果たして当たっているのでしょうか?それとも、違っているのでしょうか?
次回も参政党関連の続きを掲載します。