写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

03 「初めてなのに懐かしかった」韓国

 私は韓国にこれまで6回行っています。ブログをはじめて、韓国旅行のグループに入ると、なかには「毎月韓国に行っている」という方、そこまでいかなくても数十回韓国に行ってらっしゃる方がいます。すごいなあ、と思います。

 

 こちらは北海道民なので、九州や西日本の方のようにはいきません。ロシアにもっと気軽に行ける時代が来ればよいのですが、今のところ一応ビザが必要ですし、サハリン行きの飛行機は運賃が意外と高く、気軽に行ける感じではありません。

 

 6回の韓国旅行のうち5回は記録を残しています。既に最近の2回分は掲載してしまいましたが、残り3回分も、いずれリライトして掲載するつもりです。でも1988年、最初の韓国行きは記録を残していません。生まれて最初の海外旅行で、強烈な印象が残っているのですが、残念なことです。

 

 そうはいっても旅程のパンフレットは残っており、断片的には旅程をたどることが可能です。ですからネタが切れたら、いずれそれを参考に無理矢理旅行記を書いて掲載するかもしれません。

 

 1988年当時の韓国は高度成長期でした。「初めてなのに懐かしい」という韓国旅行キャンペーンのキャッチフレーズがあり、実際行ってみるとその通りでした。

 

 当時もう韓国でもテレビのカラー放送は実施されていたのですが、旅館のテレビは白黒テレビでした。今のところ人生で最後に見た白黒テレビ放送です。

 

 「ファンタグレープ」を買うと、瓶入りで、しかも毒々しい紫色。子供の頃の「ファンタ」は瓶入りでこんな毒々しい紫色だったなあ、と思い出しました。日本では私が小学校に入る頃に色が薄くなった記憶があります。

 

 旅館の前にはコンクリート製の四角いゴミ箱がありました。これ、子供の頃に自分の家の前にあったものとそっくりです。町の様子も、日本の様子とはいろいろ違うものの、どこかタイムスリップ感がありました。

 

   釜山でなぜかどうしてもバナナが食べたくなり、道端でしなびたバナナを売っていたおばさんから買おうとしたことがありました。「5」だけ聞き取れたので500ウォンを出したら5000ウォンでした。当時新聞が確か100ウォン。しなびたバナナ一房が日本円にすると千円以上で、あえなく退散。日本でも輸入自由化以前はバナナは貴重品だったと聞きますが、韓国では当時自由化されていなかったのです。

 

 1988年といえば、ソウルオリンピックの年ですが、まるで1964年の東京オリンピックの時に戻ったよう。1964年には生まれていませんが、私が幼稚園の頃のかすかな記憶を思い出させるものが多かったのです。韓国は日本より24年遅れているのかな、と思いました。

 

 その後長い間韓国に行けませんでしたが、1997年にアジア通貨危機があったとき、日本も1973年に石油ショックがあって、やっぱり24年遅れで同じことが起きているなあ、と思いました。

 

 2000年前後にまた韓国に行く機会があり、数度訪韓しましたが、デパートには大きな家電売り場があり、バーゲン会場に主婦が群がっていて、私が小学生の頃、1970年代後半のデパートを彷彿とさせました。やはり約24年遅れだな、と思ったものです。

 

 その後諸事情でなかなか旅行できない状況は続きましたが、先日掲載した2015年のソウルは、「言葉の通じない東京」になっていました。タイムスリップ感がなくなっていたのです。今年=2019年の訪韓では、ソウルや釜山の郊外など、私のような田舎者にとっては近未来都市のようでした。

 

 日本がバブル崩壊後、約30年間停滞しているうちに追いつかれてしまったのでしょうか。そのうち追い抜かれるかもしれません。今後訪韓すると、未来旅行になるかも。そうならないように、日本も頑張らないといけないですね。

 

 私はネットで古い写真や動画を見るのが大好きです。テクノロジーは最新のインターネット技術ですが、コンテンツは古いものばかりを追っています。youtubeには今の旅行動画と昔の動画が並んでいます。リアルでは、旅という空間移動はできますが、時間旅行はできません。でも、かつての韓国旅行は疑似タイムスリップができる旅行だったのです。

 

 今の韓国に行って、タイムスリップ感を味わう楽しみはほぼ失われました。先日ロシアに行ったとき,ハバロフスク空港のたたずまいなどに多少タイムスリップ感を味わいましたが、街そのものは、ヨーロッパ風で雰囲気はずいぶん違います。いま、タイムスリップ感を味わうことのできる旅行先はあるのか、あったらどこだろうな、と思います。いいところがあれば教えてください。