写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

06  幼児期の金沢~大聖寺往復の記憶

   子供のころの旅行の思い出をたまに書くことにしています。今回は、幼稚園なのか、小学校に入ったころか、金沢から大聖寺、というところまで行ったとき、45年ぐらい前の、記憶を書きます。

 

 大聖寺、というところは、金沢から一時間ぐらい行ったところでしょうか、加賀市の中心です。昔は加賀藩支藩大聖寺藩というのがあったそうです。加賀市の中心部、といっていいところで、特急が停まってもおかしくない駅なのですが、近隣に粟津とか動橋とか、温泉を控えた駅が多く、北陸本線の特急の本数が増えた時期に、この近辺のどの駅を特急停車駅にするかもめたそうです。それで結局、中間の作見という小駅を「加賀温泉」駅として整備し、特急はこの駅に停まることとなり、私の小さいころには既に、大聖寺は急行がまれに停まる程度の駅になっていました。

 

 ここに祖母の妹にあたる人が住んでいて、祖母がときどき訪問していました。ということでお供で行くことになったのだと思います。

 

 行きは昼間、快速で行きました。急行「立山」や「ゆのくに」「くずりゅう」に使われていた小豆色のツートンカラーに塗られた交直流型急行電車(この電車の系列がややこしいのでどの系列だったのかは判然としません)が快速「こしじ」という名前でも使用されていました。特急急行は大聖寺に停まらないので、この列車で行くのがいちばん妥当だったのでしょう。当時の北陸電車急行はみなヘッドマークをつけていましたが、この快速「こしじ」もヘッドマークをつけていたように記憶しています。

 

 大聖寺駅というのは快速普通しか停まらないのに、かつての経緯から大きな駅でした。

 

 大聖寺で何をしたのかはさっぱり覚えていません。祖母の妹の家の様子をかすかに覚えているだけです。

 

 それよりも印象深い、この記事を書こうと思ったきっかけは、帰りの普通列車、夜になって今度は電気機関車牽引、旧型客車を並べた列車に乗って帰ったことです。

 

 当時の旧型客車は、まだ蛍光灯が設置されていなかったようで、黄色くて暗い白熱灯が灯っているだけの暗い車内でした。この列車に1時間ほど乗っていたのだと思いますが、とにかく暗くて怖く、退屈だったのをよく覚えています。電車に乗るのが大好きな私でしたが、この列車だけはもう嫌だ、早く降りたい、と思ったものでした。

 

 ですが今思い返せば、こんな列車に乗ったのはこのときだけ、貴重な体験だったと思います。旧型客車は中学生のころまで残っていたので、以後も乗った経験がありますが、そのときは明るい蛍光灯に置き換えられていました。