写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

08  小学校低学年の頃の京都・奈良観光の記憶

 この「子供の頃の旅と思い出」というシリーズ、前回はこだわりの強い私が「12月17日」という日付にこだわり、先走って1978年の旅行話を掲載してしまいましたが、今回は1975・76年、まだ金沢に住んでいた頃の話に戻ります。

 

 1975年3月に「雷鳥」は米原回りから湖西線回りになり、車窓から琵琶湖がよく見えるようになりました。この年の夏に大阪の祖父母の家に行った折、京都観光をしたはずです。うちの祖父母の家は京阪沿線でしたが、一度京橋駅まで戻って特急の「テレビカー」に乗り、当時終点だった三条へ。今と違って京都市内は鴨川沿いを走り、五条では市電との平面交差もありました。

 

 三条駅を出ると道路の上を電車が走っていました。これが京阪京津線ですね。当時は確か準急はテレビカーと同じ特急色、普通用が京阪線と同じ緑の濃淡で塗られていたように記憶しています。道路の上をさっきまで乗っていた京阪電車が走っているので不思議に感じました。もちろん、色が同じだけで小型の電車です。

 

 確か三条から京阪バス定期観光バスに乗って、平安神宮知恩院東本願寺西本願寺金閣寺三十三間堂清水寺あたりをめぐったのではないかと思います。終点は京都駅でした。

 

 ただ、電車好きの私ですから、車窓から見える、まだ当時かなり残っていた京都市やその線路が気になって仕方ありませんでした。バスに乗るとき地図をもらったはずですが、当時はあちこちの通りにまだ市電の線路が残り、電車が走っていました。既に市電が廃止されて線路がなかった「堀川通」という通りの名の方が逆に印象に残ったぐらいです。バスがこの通りに入ると線路がないのでがっかりした覚えがあります。

 

 暑い日だったと記憶していますが、確かこの日は大文字焼きの日で、夜、京都駅から混雑した銀閣寺行きの市電に乗り、京阪三条まで行って、また京阪線で帰ったのだと思います。大文字焼きを少しだけ見た記憶があります。結果的に唯一の京都市電乗車となりました。

 

 このときと同じ時だったのか、違うとき(前年?)だったのか、難波から近鉄電車に乗って奈良にも行きました。東大寺の大仏や鹿を見たのですが、特急ではなく、快速急行に乗ったように思います。そういう種別があるのか、と印象に残っています。どこかの駅(大和西大寺だったか?)で2両連結の特急を見て、近鉄にはこんな短い特急があるのか、と思った記憶もあります。

 

 当時あった、奈良ドリームランドにも行った覚えがあります。「潜水艦」のまねごとや、大きな風船状の物体の中に入ってトランポリンのごとく飛び跳ねる遊具があり、これが気に入った覚えもあります。

 

 確かその前後に、うちの祖母が天理教信者だった関係で、近鉄で天理まで往復した覚えもあるのですが、これまたこのときだったのでしょうか?行ったのは確かですが、いつ行ったのか、誰と行ったのか、母親がいたような気もするのですが、判然としません。電車にばかり気をとられて、誰と行ったのかを覚えていない、という私です。 

 

 あと、初めて甲子園球場に行って高校野球をも見たのもこの頃ではないかと思いますが、無料の外野席でただ暑いだけ、野球には興味が持てず、梅田駅から阪神電車の急行で甲子園駅まで往復したのだけが楽しい思い出となっています。これは父親と行ったはずです。

 

    京阪、近鉄、阪急、阪神には乗りましたが、大阪の大手私鉄では南海電車に乗る機会、というよりも見る機会さえありませんでした。南海だけは未乗のまま残り、初乗りは大人になってからでした。