写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

04 3日目ソウル午前中 北村散策(2015年1月10日)

 さて3日目、1月10日土曜日です。

 

 朝ですが、暗いので何時かな、と思ったらもう8時でした。前日夜早く寝たのに、寝過ごしです。日本と同じ時間帯で、日本中心部より西にあるので朝が遅いです。私は高校の頃まで西日本にいましたが、そういえば冬場、7時半頃までは暗かったことを思い出しました。

 

 ホテルは3日目からベッドルームに変わる予定でしたが、オンドル部屋も空いているので、替えるかどうか11時までに教えてくれ、ということでした。荷物を移動するのが、面倒なのでそのままオンドル部屋に泊まることにしました。

 

 ということで、9時ごろ出発。今日からは予定がありません。この旅行を思い立ったきっかけは、前年の夏にストリートビューや韓国版のロードビューにはまって、実際に行ってみたいと思ったのがきっかけです。あと、今まで行ったところがどうなったかたどってみたいとも思いました。ということで3・4日目は気まぐれ町歩きです。

 

 行く前に、仁寺洞出口にある、到着日にも利用したコンビニで韓国名物バナナ牛乳新聞(東亜日報を買います。ところがバイトの姉ちゃんは、新聞の値段がわからないようで「いくらだっけ?」というふうに私に聞いてきます。私は片言しかしゃべれないので「日本人」とか、「たぶん800ウォン」(到着日に買ったとき確かそうだった)、といったのですが、結局姉ちゃんは電話で本部に問い合わせしてやはり800ウォンでした。

 

 店員が新聞の値段を知らないとは、とびっくりしましたが、このあと延々と地下鉄に乗っても新聞を読んでいる人には一回しかお目にかかりませんでしたし、みんなスマホをいじっています。12年前は地下鉄で「メトロ」という無料新聞を読んでいる人が非常に多かったのですが、これは昨日ロッテホテルに行く途中で置いてあるのを見かけたものの、誰もとっている様子がなく、時代は変わったなあ、新聞の時代ではないのかなあ、と思って、今までは韓国の主要紙一通り買って日本に持って帰ってきていたのですが、家に置くところもないこともあって、以後新聞を買うのをやめてしまいました。

 

 ホテルのある仁寺洞地域は、5回の韓国旅行のうち4回まで泊まっていますから、一番おなじみの地域なのですが、ここの北側の大通りを隔てた「北村」という地域は、ただの住宅街なので、行ったことがありませんでした。ところがロードビューで見ると、なかなか風情のある町並みです。それでこの地域に今まで何で行かなかったのだろう、と悔やんでいたので、まずそこから行きます。行ってみると、赤い服を着た観光案内のボランティアらしき人が歩いています。

 

 はじめは闇雲に歩き回りました。ロードビューで見つけた「明文堂」という出版社がやはりあります。「やっぱりあるんだ~」と看板見ただけで感動します。表通りの方は、京都の嵐山みたいな観光地にありがちの店が並んでいます。おや、ちょっとイメージが違います。坂道の多い地域なので、とりあえず奥まで進んで一番高そうなところまで登ってそこから降りてくればいいや、と思ったのですが、ベトナム大使館があるくらいで、風情があるとは言い難い感じです。

 

 路地に入ると、住宅街になります。純韓国風の家屋も結構あり、ようやく風情のある感じになります。ウロウロしていると、よく観光写真で紹介されている韓国家屋が並んでいる坂道に出くわしました。

 

 そこを下っていくと、家の中から覗いていた若い女が、入ってこいと言うような仕草をします。いいのか、と聞くと、日本語のガイドのようです。どうやら家屋を開放して見せているようです。有料で確か一万ウォンじゃなかったかと思います。狭い家でしたが、説明を受けると、金持ちがここを買い取って改装して別荘にして、使わないときは見学させているようです。ですから台所やトイレなどは韓国風でないです。地下室があって非公開なのですが、写真だけ見ました。ラテンアメリカ風のしつらえのリビングのようです。

 

 座って窓から外を眺めるように言われましたが、坂にあるので、ソウルの街が見えて、確かに眺めがいいです。一通り回ると梅の入ったお茶を出されましたが、これが非常においしかったです。「尋心軒」という名前でした。中国人客もいました。ここには中国語ガイドと日本語ガイドがいるようですが、このあたりを回っていても日本人はほとんど見かけず、中国人と韓国人おのぼりさんばかりのような感じでした。この調子では中国語ガイドは忙しくても日本語ガイドはヒマでしょう。日本語ガイドがんばれ、と思って出て来ました。

 

 この地区には街めぐりコースが設定されてて「北村八景」という眺めのいいところがあると案内板に書いているのですが、案内板をたどって行っても入り組んだ路地なのでルートを見失ったりして要領を得ません。そこで、またボランティアらしき赤い服を着た人がいましたので「道がわからなくなった」と日本語で言ってルートが載っている地図をもらい、改めて最初から歩き直すことにしました。

 

 歩き直す起点に戻るときだったと思うのですが、近くに生活史博物館という、カビ臭い家屋を改装して昔使っていた生活用具を展示してあるところに行きました。入場料5000ウォンぐらいだったか。韓服姿の人がいましたが、韓服体験の中国人でした。

 

 起点から歩き直すことにしました。「北村八景」も全部見て回りましたが、確かに眺めがいいです。韓国式の瓦屋根の家屋が丘の上から下に向かってずっと続いているのを眺めることができるポイントは壮観でした。

 

 今回買った「地球の歩き方」にもこの地区は紹介されていましたが、昔のガイドブックにはここは紹介されていませんでした。どうもここは昔からの高級住宅街だったのが、開発に取り残され、伝統家屋が残ったために注目され、観光地として整備された、ということのようでした。

 

 ちょうど金沢長町の武家屋敷がたどった道と似ています。私が子供の頃はただの住宅地だったのに、観光地として注目され、人々が押しかけ、アスファルト道路だったのが石畳になり、電柱がなくなり、一般住民が住んでいたのに、金持ちに買い取られたり、観光客はただ通り抜けるだけの場所だったのに、中を公開するところが出て来たり、武家地だったので店はないはずなのに観光客向けの和菓子屋ができたり、という金沢の武家屋敷がたどった展開をソウルの北村地区は今たどりつつあるらしい、と感じました。

 

 武家屋敷が観光地として整備されたのが1990年頃だった気がするので、やはり韓国は20数年遅れで日本のたどった道をたどっているのだな、と改めて感じました。古い町並みの中に突然モダンな文化施設があったりするのも、金沢の本多町あたりを想起させられました。金沢を散歩するときも街並み散歩コースがあって、それをたどって歩くのが好きでしたが、そのノリです。ただ、住宅地なのに観光客がむやみに歩いているので、あちらこちらに日中韓語で「ここは住宅地です。静かにしてください。」という掲示がしてあるのですが、日本語の表示が「しーっ、静かにしてください。」と書いてあってなんだか奇妙です。

 

 この町歩きコースの終わりあたりに、案内板がありました。それを読んでいると、解読できて、昔の有名な画家の家を公開しているらしいと言うことがわかりました。高羲東という人物のようです。画家の家など興味ないのですが、案内板の説明がほぼ解読できたのが嬉しくてそこに入ってしまいました。有料でした。入ると古い韓国家屋ですが、日本で言う「文化住宅」の類だったようです。日本で絵を学んで韓国画壇の大家になった人物の家のようでした。