写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01 名鉄乗車報告<その1>(1999年1月6日)

 ネタ切れなので、なんと20年前(1999年)に書いておいた名鉄名古屋鉄道)の乗車記録をリライトして載せます。こういうことをしていいのかわかりませんが、そうでもしないとブログが続きません。もちろん、当時から写真も撮っていません。「懐かしの鉄道旅行記ということを了解していただき、読んでくださると幸いです。1999年1月6日に大阪から近鉄特急に乗り、名古屋まで行き、その後岐阜に向かったときの記録です。

 

 当時、確か「3・3・SUNフリーきっぷ」とかいう、近鉄・南海・名鉄3日間乗り放題の切符があり、大阪に行った帰り、関西空港まで南海で行くので、ついでに購入し、以前から気になっていた名鉄に乗るため、名古屋方面に行こう、と思い立って行ったはずです。以下は当時書いた文章をもとにしています。駅名も当時の名称をそのままにしておきます。

 

 名古屋は幼稚園の時と中学の時に行ったことがあるのですが、東京や大阪よりもなじみがないため、まごついてしまいました。新名古屋駅の位置がわからず、地下街をずいぶんうろうろしてしまいました。

 

 子供の時にあこがれていたパノラマカー7000系の先頭車に乗りましたが、今やパノラマスーパーやパノラマデラックスの時代で急行や普通に使われていました。新名古屋駅は狭いです。よくこれで名古屋の中心駅をやってられるなあ、という印象です。岐阜まで急行に乗りましたが、急曲線が意外と多く、新岐阜駅直前にはわずかながら単線区間もあって、意外でした。また、けっこうアップダウンもあって、面白いと言えば面白いのですが、JRに比べると不利な線形です。

 

 今回の最大の目的である名鉄美濃町線に乗ります。美濃町線の電車は路面電車型ですが、新岐阜駅の鉄道線の専用プラットホームから出発します。そのため、鉄道線用の大型電車と同じ線路を走ります。なぜそうなっているのかと言うのには訳がありますが、それはあとで説明します。途中で鉄道線と分かれて併用軌道区間に入りますが、驚いたことに単線です。単線の路面電車というのはかなり珍しいのではないでしょうか。

 

 道路の真ん中をしばらく走ったあと、野一色というあたりで専用線になります。しばらくしたら今度は道路の左隅の路肩に線路が敷いてある区間に入ります。そのあとも路肩や、専用線・道路に挟まれた区間など、バラエティーに富んだ路線配置です。中でも下芥見というあたりでは、普通の生活道路の片隅を走るので、何ともいえない風情がありました。

 

 電車は新関という駅で乗り換えます。ここまでは連接車や馬面の複電圧車でしたが、この先は昔懐かしい典型的な路面電車スタイルの電車です。この先が3月に廃止される区間でしたが、乗客の約半数はレールファンでした。この路線は長良川鉄道に沿っているので廃止もやむを得ないですが、道路の中央に線路が割り込んできたらと思ったら途中で左隅に寄ってしまいます。

 

 レールファンにとっては面白いでしょうが、この道路を車で初めて通る人は相当面食らうのではないでしょうか。途中からは専用線に入りますが、結構アップダウンがあって路面電車が走るにふさわしくない路線です。終点の美濃駅はもうくたびれきっていますが駅員もいてまあまあそれなりの風情のある駅舎もあり良い雰囲気でした。

 

 帰りはまた新関で乗り換えですが、今度は新岐阜まで市内線を利用しようと途中で乗り換えました。ところがこの市内線は中心街の徹明町というところまで行くのですが、驚いたことに大部分が単線で、停留所も安全地帯がなく、ただ道路に緑のペンキで色を塗っているだけで極めて危険です。降りるとき車にひかれそうになりました。今時安全地帯のない電停があるのかとびっくりしました。

 

 美濃町線から新岐阜駅までの直通がないので徹明町で乗り換えるつもりでしたが、慣れていないと道路の真ん中で電車が来るまでつっ立っていなければならず、他に電車を待っている人もいないので、要領がわからず、乗車を断念しました。新岐阜駅まで歩いていきましたが、これでは乗る人はどんどん減っていくでしょう。なお、徹明町では美濃町線新岐阜方面に行けるような配線になっておらず、また、市内の併用軌道区間では車に進行が邪魔されまくっていましたので、鉄道線を利用して新岐阜に行くようになったのでしょう。その後、「岐阜徹明郵便局」で貯金しました。

 

 岐阜にはもうひとつ、揖斐・谷汲線に連絡する市内線があって大正時代の五枚窓電車が見られるらしいので行きたかったのですが、結構まごついて時間をロスしたので断念しました。この一連の路線、昭和20~30年代の古い地方私鉄の写真に出てくるような路線で、道路の片隅を田舎電車が走る姿は今ではここぐらいしかないでしょう。昔は建設費や土地買収費を浮かすためにこのような路線がたくさんあったようですが、廃止されるか、近代化されて専用線を敷き直すかされて平成の今では珍しい光景となっています。面白かったのですが、面白い、ということはいいかえると近代化が遅れている、ということに気がついた旅行でした。

 

 次回はもう一つの目的の犬山木曽川併用橋と名鉄見聞まとめを書きます。